ボレロ - 第三楽章 -
今夜は会の名前を決めるつもりでいたが、潤一郎が欠席のため決定は先送りとした。
しんみりとしてしまった席を、狩野や沢渡さんがなんとか盛り上げようとするが、櫻井君の顔が一向に晴れず、平岡も彼の様子を気にしていた。
「櫻井君は、なにか心配事があるんだろうな」
「それは、そうですよ……」
「おまえ、何か知ってるのか」
「えっ、先輩、気がつかないんですか?」
「うん?」
「だから櫻井さんと、その、なんというか……もぉーっ! 本当にわからないんですか。
しっかりしてくださいよ!」
「どうして俺がおまえに怒られるんだよ。わからないから聞いたんじゃないか」
またもめてるのかおまえら、学生の頃からちっとも変わってないなと狩野にからかわれたが、平岡の言う意味がまったくわからず、この疑問を誰にぶつけるべきかと考えた。
珠貴ならわかるだろうか。
しばらく席をはずすとみなに伝え、ロビーに出て珠貴に電話をした。
今夜の電話は早いのね、まだ11時前よと言う声の後ろがずいぶん賑やかだった。
彼女も今夜は友人たちと食事会だという。
聞きたいことがあるんだが……と言ったものの、落ち着いて話が出来る環境ではなさそうだ。
また明日かけなおすよと伝えると、食事会が終わったら部屋に行きますと言ってくれた。
思いがけず珠貴と会えることになった嬉しさを抱えながら 『シャンタン』 の席へ戻ったところ……
櫻井君が電話に向かって叫んでいた。
『……どういうことですか!……』
仲間たちは、彼の電話をじっと見守っている。
平岡の袖を引っ張りどうしたのかと尋ねると、櫻井君のもとへ浜尾君から電話があり、これから出かけるのでしばらく留守にします……というものだったらしい。
どこへ行くのかと聞いても具体的な返事はなく、櫻井君が必死になって問いかけている最中ということだった。
『待って、これからそこに行きます。場所を教えてください……浜尾さん!』
最後は叫ぶような声になっていたが、浜尾君側から電話が切れたようだ。
「彼女どこに?」
「旅行に行くと言ってました。でも、どこへ行くのか教えてくれなくて……」
「気持ちを整理するつもりでしょう。数日もしたら帰ってきますよ。
仕事熱心な浜尾さんのことだから、仕事が心配で旅行も長くはないと思います」
「しばらく留守にするって、そう言ったんですよ。辞表をだした、引継ぎも済んでいる。
だから仕事の心配はいらないそうです」
櫻井君の言葉に私も平岡も息をのんだ。
彼女はやはり辞めるつもりなのだ。
「旅行にいくなら……駅か空港か、夜行バスってこともあるな」
「駅の音じゃなかった。車の音も聞こえなかったからバスでもないだろう。
空港にしては静かだった。それに、こんな時刻に飛び立つ飛行機なんてない。
あぁ、いったいどこにいるんだ」
悲痛な声のあと唇を噛み締めた櫻井君に声をかけたのは、じっと聞き入っていた羽田さんだった。
「この時刻でしたら羽田空港ではないでしょうか。深夜発の国際線かと思われます。
おそらくヨーロッパ方面へご出立なさるのでは」
どうしてそこまで詳しく言えるのかと、誰もが驚きを持って羽田さんを見つめている。
照れた顔をした羽田さんは、このように説明してくれた。
「首都圏で夜間飛行が認められているのは羽田空港だけです。
現在真夜中に飛行しているのは国際線に限られております。
深夜1時過ぎに出発し、毎日運行されているのはパリへ向かう路線です。
こちらでお食事をなさったあと、羽田に向かわれるお客様もいらっしゃいますので」
「なるほど、羽田さんは飛行時刻を把握しているんですね」
私の言葉に照れた顔をみせ、恐れ入りますと律儀に頭を下げた。
羽田さんの詳細な説明に、みなの口から 「ほぉ……」 とため息が漏れる。
「パリか……あっ!」
「彼女、リヨンに行くつもりだ!」
櫻井君と平岡が、ほぼ同時に声を上げた。