ボレロ - 第三楽章 -
クリスマス寒波がことのほか長引き、年末年始も荒れ模様となるだろうと予報されていたが、予報を裏付けるように車窓から見上げた空は鉛色をしている。
私の様子を見ていたのか 「夕方から雪の予報です」 と運転手の前島さんから帰りを気にする声があった。
早めに帰った方がいいだろうと言いたいのだろうが、相手があるだけにこちらの都合で動くわけにはいかない。
「雲が暗い色をしていますね。また寒くなりますね」 と返事にならない返事をしてやりすごした。
できるなら、このまま帰宅したくないと言うのが私の本心だった。
父と顔を合わせる気まずさを避けるためには、帰宅時刻を遅らせるのが得策だ。
昨夜のやり取りといい今朝の食卓の重い空気といい、とてもではないが帰宅してくつろぐ雰囲気ではない。
元はといえば、私が投げかけた問いが父の癇に障ったのだ。
原因が自分にあるだけに、歩み寄る努力はこちらからしなければならないとわかっていながら、いまだ気持ちの整理がつかずにいる。
昨夜のことだった。
年末年始の休暇中、宗が父に会って挨拶をしたいと言っていると伝えたのが発端だった。
人を介して申し込むなどどういうことか、なぜ本人から申し出がないのかと機嫌をそこねたのだ。
「もちろん、宗一郎さんからお父さまにお話があるでしょう。
そのまえに、お父さまの都合をお聞きしただけです」
「そんなことはわからん。年末は何かと慌しい、年が明ければそれなりに忙しい。
時間など取れない」
「時間は自ら作るものだと、いつもおっしゃっているではありませんか」
「大事なことなら、なんとしても時間を作る」
「では、私のことは大事ではないと、そういうことですか」
「大事とは仕事のことだ。個人の都合を優先させるわけにはいかない」
夕食の後、リビングには母も紗妃もおり、ふたりとも私たちのやり取りをじっと聞き入っていた。
母は固唾を呑んで身構えていたが、紗妃は面白いものでも見るような顔だった。
家では寡黙な父がこのように応戦してくるのは珍しいことで、紗妃にとって初めて目にする親子の風景だろう。
「そうですか。個人を優先できないのであれば、私はいつまでたってもお父さまに相談できませんね。
わかりました、自分で決めます。それでよろしいですね」
「何を決めるというのだ。家を出るというのか。勝手は許さん」
父の顔が変わった
私を押さえ込んだつもりだろうが、そうはいかない。
あえて丁寧な口調で意見を述べた。
「私は、お父さまの跡を継ぐように言われてまいりましたから、そのつもりでおります。
身勝手な行動は慎むべきだと厳しく教えられました。
勝手に家をでるなど、そんなことするはずがないではありませんか」
「で、では……何を決めたというのだ……」
「宗一郎さんに会っていただきたいとお願いしているだけです。
いまは会えないとおっしゃるのでしたら、そのときまで待ちます」
「会うつもりはないと言ったら……どうするつもりだ」
「しかたがありませんね、いつまでも待つしかないようです。何年たとうとかまいません」
「結婚しないつもりか」
「えぇ、そうですね。お父さまのお許しがありませんから、いつまでも結婚はできませんね」
「近衛君ではない、ほかの男とということだ」
「ほかの方など考えられません」
「須藤の家はどうなる」
「私の代で終わりでしょうか」
「……親を脅すつもりか」
それには返事をせず、父の顔を睨むように見つめた。
小刻みに震える唇が、怒りの度合いが大きいことを示している。
母はこの場をとりなしたいがどうしていいのかわからないようで、立ち尽くしたままうろたえていたが、紗妃の空気を破るようなひと言に小さな悲鳴を上げた。