ボレロ - 第三楽章 -

9, con espressione コンエスプレッシオーネ (表情をこめて) 



正月の賑わいが過ぎ、ひっそりとした佇まいだろうとの予想ははずれ、境内には思いのほか人出があった。

そのほとんどが企業の上層部に位置すると思われる人々で、低迷が続く経済の回復を願うものか、自社の飛躍発展を祈るのか、拝礼だけでなく社務所へ祈祷の申し込みも少なくない。

これなら、偶然に会ったと装うのも難しくはなさそうだ。


この神社に須藤社長が単身で祈願にやってくると聞いたのは 『吉祥 別邸』 に家族が集まったときだ。

「必ず会えるとは限らないが、それでもよければ……」 と断ったうえで知弘さんが教えてくれた。

晴れ渡った良い天気ではあるが、風を遮るものがない境内は寒さが足元から這い上がってくる。

拳を握り締めながら寒さに耐え、社務所が見える場所に身を潜め須藤社長がやってくるのを待った。





昨年末結婚した静夏が、知弘さんとともに近衛家の恒例行事に参加したのは、新年の二日の夜だった。

大晦日と元旦は嫁ぎ先である須藤家へ行き、正月二日と三日は里帰りをかね、家族が集う 『吉祥 別邸』 にやってきた。

常連である年末年始の宿泊客は、会えば互いに挨拶をするが、さして親しく交わる事はない。

けれど今年は様子が違っていた。

近衛家の娘が海外のコンクールで大賞を受賞したニュースは、ほとんどの人が知るところで、受賞のニュースとともに結婚も報道されたため、我々家族を見かけた人は一様に祝いの言葉を伝えてくれた。

知弘さんと静夏が到着した日は、さらにたくさんの人に囲まれ、お祝いムード一色のダイニングであるといってもよく、出産が近い静夏へ 「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」 と温かい言葉も多く寄せられた。

去年まで結婚の気配すらなかった娘が、年末に結婚を発表し、もうすぐ母になろうというのだ。 

式も挙げず入籍だけの二人へ、眉をひそめる人がいなくもないが大方は好意的だった。


ついでのように私へも 「今年は宗一郎さんも、良いことがおありなのでしょう」 と声を掛けてくる人もいた。

経済誌に珠貴を抱きかかえた写真が載り、その後 「彼女は大事な人です」 と私が口にしたため、結婚が近いのだろうと憶測が流れているようだ。

両親も会う人に 「今年はご長男もお決まりですか」 と探るように言われると笑っていた。

経済誌の写真掲載と女性週刊誌の記事で、私と珠貴のことがもっと騒がれるだろうと思っていたが、思わぬ展開で話題の大方を静夏に持っていかれてしまった。

だが、須藤社長の 「娘は須藤の家から出すつもりはない」 との真っ向否定の発言で、我々の件は暗礁に乗り上げたかたちになっている今は、騒ぎが大きくならずに良かったと思っている。


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