ボレロ - 第三楽章 -
真っ直ぐ部屋に戻る気分ではなく、煙草を吸える場所をもとめて庭に出た。
立て続けに三本吸い、ようやく胸のモヤモヤが収まってきた。
「ここだと思った」
「知弘さんも煙草を?」
「昔は吸ったが、やめて何年になるかな」
「吸いたくなるときってありませんか」
「思わなくなったな、妊娠中の妻がいるからね」
私を責めるような言い方ではなかったが、悪いことをしている気がしてきて吸いかけの煙草をもみ消した。
「珠貴が、やりきれないときがあると言いながら煙草を手にしていた」
「そうですか……」
「兄は決して話のわからない人ではないよ」
「辛抱強く待つつもりです」
「だが、辛抱も限界があるだろう?」
「そうですね。でも、待つほかないと思うので……」
「会ってみるかい?」
「えっ」
「兄も意地になっている、今の様子では会うのも容易ではないだろうね。
アポなしだが、それでも良ければ」
「かまいません」
知弘さんの言葉に、私は身を乗り出した。
「新年の10日過ぎに、兄が必ず詣でる神社がある。そのときは、秘書をひとり連れて行くだけだ。
誰にも邪魔されずに話ができるだろう。だが、不意打ちだからね、もしかしたら……」
「須藤社長の機嫌を損ねるかもしれない、ということですか」
「うん。それでも、あてもなく待つよりいいだろう。
もし、君にその気があるのなら、兄が行く日がわかったら教えるが、どうする」
「教えてください。お会いしてみます」
「わかった。では……」
知弘さんの話によると、詣でるのは決まった日ではなく、須藤社長の都合で行く日が決まるため、その日の朝にならなければわからないということだった。
それでも良いと返事をして、知弘さんからの連絡を待つことにしたのだった。
そして今朝、待ちに待った連絡があった。
私の午前中の予定はすでに決まっていたが 「予定変更を頼む」 と平岡に食い下がり、強引に説き伏せ、こうしてここに来た。
目的がある私は多少の寒さも我慢できるが、いきなり寒空のもとに引っ張り出された平岡は迷惑顔を隠そうともしない。
先輩後輩の気安さから、小言にも遠慮がない。
「待つのは一時間だけです」
「……そろそろだと思うが」
「祈祷の時間を含めても最長二時間、これ以上は譲れません」
「うん……」
「先輩、午後の予定は動かせません。いいですね」
「うるさい!」
「うるさいってなんですか! この二時間を作るのに、僕がどれほど苦労したかわかってるんですか。
浜尾さんがやめて、それでなくても忙しいのにまったく……今後、このような個人的行動は慎んでください」
「わかった、わかったから。この埋め合わせはいつかする」
「埋め合わせなんかいいんです。とにかく時間だけは守ってください」
決まった予定を覆し、無理やり確保した二時間だった。
それも平岡だからこそできたことで、ほかの秘書ではこうはいかない。
頼まれた平岡も、私の切羽詰った様子に同情してくれたのだろう。
「できない相談です」 と一度は断ってきたが 「なんとか時間を確保しました」 と頼もしい返事がかえってきたのだった。
「それにしても寒いですね。カイロいりますか?」
「いや、それほど寒くはない」
「さすが燃える男は違いますね。仕事の方もこの調子でお願いします」
「当たり前だ」
「あっ、あそこに。いらっしゃいましたね」
「うん、いくぞ」
平岡と同じ方向へ目を向けていた私も、須藤社長の姿をとらえていた。
よほど寒いのか、手袋の上から手をこすり合わせている平岡を促し社務所へと足を進めた。
平岡とともに歩み寄った私に気がついた須藤社長は、身構え顔をこわばらせたが、近くにいた知り合いを気にしてか、私の挨拶を受け取ってくださった。
「今年もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ……」
「ご一緒させていただきます」
無言のまま顔が縦に動き、了解をもらったことにひとまず胸をなでおろした。
私と須藤社長のやり取りを興味津々に眺める顔もあれば、コイツは何者かと詮索する顔もある。
父の年齢に近い顔ぶれの彼らに 「近衛と申します」 とだけ挨拶をしてあとに続いた。