ボレロ - 第三楽章 -
「褒められると誰しも気持ちのいいものです。頼りにされるともっと尽くしたくなります。
お願いされると、嫌とは言いがたいものです。
それが得となり名誉につながれば、多少の損害がでようとも頑張ってしまうものです。
丸田さまのご気性なら、無理にでも功績をあげようとなさるでしょう」
「わかった! 追い詰めて怒らせるのではなく、気分良くいてもらいながら無理をさせるんですね」
「はい」
「自尊心をくすぐるってわけか」
「はい」
「褒め殺しですか」
「そのようになるでしょうか」
「追い詰めて恥をかかせるのではなく、気分良くおだて上げ、あとに引けなくなるように仕向けるのか」
「褒められて怒る人はおりませんので」
私と羽田さんの掛け合いに、みなの顔が大きく頷いている。
「相手を褒めて追い詰めますか。さすがは羽田さんだな」 と狩野は感心しきりという顔だったが、何かを思いついたのか 「そうだ!」 と声をあげた。
「丸田会長に邪険にされた女性と孫息子を、我々の手で結婚させるってのはどうだろう。
俺たちだけでなく、事情を話して多くの人に賛同してもらう。
見かねた周囲が結婚できない二人に手を差し伸べたと言えば、大義名分が立つ。
丸田会長も嫌とはいえなくなるはずだ」
「狩野君、それはいい。二人は結婚できて、子どもも父親ができる。
珠貴さんも迷惑な縁談から解放される。
そうなると、特許技術の実現はとりあえず凍結ですね。
丸田会長は納得しないだろうが、周囲の好意とあれば嫌とは言えないはずだ。
何よりメンツを重んじる人ですから」
「”勝手に結婚させる会” なんてのを立ち上げて進めたら、おもしろいと思いませんか」
そりゃいい! と狩野は大乗り気で、沢渡さんも膝を叩いて賛成している。
結婚式会場はウチのホールを提供するよと、ホテルの副支配人の狩野が具体的な話を持ち出すと、周囲の根回しは僕が引き受けますと平岡も張り切って手を挙げた。
沢渡さんは、女性の身元を調べましょうと言い出した。
そんな中でも霧島君は冷静で、丸田会長を押さえ込むような大物が必要ですねと、現実的な意見を述べている。
「女性の身元だが、心当たりがある」 と私が言うと、みなの顔が変わった。
静夏の病室の隣りにいる 「気の毒な人」 の境遇があまりにも似ているので、もしかしたら
同一人物かもしれないと口にしたのだが 「そんな偶然はないか」 と自分で言い出しておきながら否定したのだが……
「そうとも言いきれないのではないでしょうか。
物事が進みだすときは、恐ろしいほどに偶然が重なるものです。
私は、境遇の似た女性は同じ方であると思います」
物静かに、けれど、きっぱりと言い切った羽田さんの顔に、誰もが圧倒されていた。
羽田さんの話はそれだけではなかった。
「先ほど大物がというお話がございましたが……私に心当たりがございます。
丸田さまにとって、その方の言葉は絶対だとうかがっております」
「誰ですか!」
「三宅さまです。お二人は戦時中、上官と部下でいらっしゃったそうですから」
羽田さんがあげた名前を聞いて息をのんだ。
私の元婚約者である三宅理美の祖父、その人だった。
当時の軍隊の上下関係はいまの世になっても続いており、上官の命令は絶対であると聞いたことがある。
そのようなつながりがあったのかと、羽田さんの言葉にうなっていたところ、珠貴からメールが届いた。
急ぎ電話が欲しいと気になる文面で、その場で電話をかけると……
『今日も静夏ちゃんの病室にうかがったの。そこですごいことがわかったのよ』
珠貴の電話の声が興奮している。
伊豆の須藤会長夫人と、隣りの病室の女性の母親は古い友人だった。
『聞いて、赤ちゃんのお父さんは、丸田会長のお孫さんだったのよ。
ほら、私の相手にどうかと言ってきた男性、あの人がそうだったの。
ひどい話でしょう? それでね……』
珠貴の話はまだ続いていたが、私は羽田さんの方を向き 「羽田さんの言ったとおりでした」 ともらした。
武者震いのような緊張が体を駆け抜ける。
丸田会長という迷惑な人物によって、私と珠貴に降りかかった災難は混迷を極め、先の見えない困難かと思っていたが、バラバラに見えた問題は次から次へとつながりを持ち、明らかになっていく。
知弘さんから聞いた企業競争の実態、友人たちがもたらした情報、静夏の病室で珠貴が聞いた噂、羽田さんの示唆、思わぬところにでてきた三宅会長の名前……
『今まで起こった出来事は、これから先のすべての事柄につながっています』
小玉さんの 「言の葉」 のとおり、事柄が一つの形になって見えてきた。