ボレロ - 第三楽章 -
建具はどれも手の込んだもので、主のこだわりが随所に現れている。
『割烹 筧』 には何度も足を運んでいるが、初めて案内された部屋のしつらえに目を奪われている私へ、大女将から、政財界の要人の会合に使われる特別な部屋だと話があり、あらためて感心しながら見渡した。
三宅会長が一緒でなければ、私のような若輩は足を踏み入れることのできない空間だ。
あまたの密談がここで行われ、談合も密かに話し合われたかもしれない。
本館の奥に位置する離れは、 山奥の別邸にでもいるのではないかと思える静寂に包まれていた。
「本日はありがとうございます。無理を承知でお願いいたしました」
「なんの、無理などしてはいない。今日は君と話が出来ると喜んでやってきた。
いつになったら声がかかるのかと待っていたよ。待ちくたびれるところだったぞ」
「恐れ入ります」
「理美のことで、宗一郎君にはどれほど迷惑をかけたことか……君の懐の深さに、私も理美も救われた」
「いいえ、そのようなことは……」
「そういうところは変わってないな。君が困ったことがあれば、私は何を差し置いても力になると約束した」
「はい、お力をお借りします」
三宅会長は丸田会長が逆らえない人物だとわかり、急ぎお会いしたいと申し込んだのだった。
事実上現役は引退されているものの、いまだ多くの役職を兼任されている三宅会長は忙しい方であるため、すぐにはお会いできないだろうと覚悟していたが、私の申し出を受けると間をおくことなく席を設けてくださり、こうしてお会いすることになった。
「君の頼みはなにがあっても引き受ける。最優先だ」 とおっしゃってくださった言葉に、三宅会長の実直さを感じた。
祖父同士の約束で、私と三宅会長の孫娘理美は婚約者と決められていた。
けれど、私と理美は結婚へいたることはなかった。
理美には長年心を寄せる男がいた。
それがわかった時点で、私は事情を知った上で親兄弟に理由を告げることなく婚約を解消した。
親兄弟や周囲にどれほど責められても、婚約解消の理由を口にしなかった。
三宅会長は言うように、私の懐が深いのではない。
理美と相手の男性を許すことで、自分のポジションと矜持を保ちたかった。
それだけでなく、婚約解消くらいで気持ちが揺らぐものかと意地もあった。
結果私が悪者となり、理美が批判の矢面に立つことはなかった。
三宅会長は私へ恩義を感じ 「いつか君の力になる」 と約束してくださったのだった。
これまでは、それこそ意地もあり、三宅会長の力を頼ろうとは思わなかったのだが、丸田会長の画策から思わぬ展開になり、三宅会長の力が必要となった。
これも定めれた運命の一端かもしれないと考えると、理美との婚約解消も意味のあるものだったのかと思えてくる。
流れに逆らわず、素直に力を借りようと気持ちが変化してきた。
「ようやく約束を果たせるときがきた。年寄りは気が短い、さっそく話を聞かせてもらおうか」
「長い話になりますが、いきさつをお話させていただきます」
「いきさつはいい。君の頼みだけを聞こう」
「しかし、それでは」
「私は、いかなることであろうとも力を貸すと約束した。
理由など問題ではない。宗一郎君の役に立てれば、それでよいのだ」
「……わかりました。では、単刀直入に申し上げます。
昭和織機の丸田会長の孫である梶原武司氏の、結婚式の発起人になっていただけないでしょうか」
「結婚式の発起人とは……また、変わった頼みだな。そんなことでいいのか? 他には」
「いいえ、他にはありません」
「私が発起人になることで、君の力になれるのか」
「はい、会長のほかにはいらっしゃいません」
「それは、相手が丸田だからか」
「……はい」
「わかった。引き受けよう」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げ、安堵のため息をつきながら顔をあげると、畳についた手に汗が滲んでいた。
これで丸田会長との駆引きに勝算がみえてきた、8割方勝負に勝ったようなものだ。
結婚式の段取りは 『アインシュタイン倶楽部』 のメンバーを中心とした友人たちが引き受けてくれた
会長は発起人の代表になっていただき、丸田会長へ睨みをきかせてもらえればいい。