ボレロ - 第三楽章 -
私には次のステップが待っている。
特許絡みの競争にケリをつけ 『SUDO』 を有利な方向へ導くことだ。
私と珠貴の立場を守るためにも、自ら動くことが肝要だとの思いから友人たちの助けは断った。
元はと言えば正月明けの神社で、須藤社長に無理にお会いしようとして、そこで生じた事態だ。
須藤社長に迷惑をかけるわけにはいかない。
近衛が関わっていることは伏せながら、隠密に動く必要がある。
仕事をこなしながら並行して事をすすめる大変さはあるが、ハードルが高くなるほど意欲がわいてくるのだ。
幾重にも仕掛けられた丸田会長の網を取り除くのは容易ではないが、三宅会長が表に立ってくだされば、効率よく計画が進むはずだ。
大胆にかつ繊細に行動しなければ……
密かに決意し、汗の滲んだ手を握りしめた。
「ひとつ訊ねてもいいかね」
「はっ? はい」
「丸田の天敵が三宅であると、誰に聞いたのかな」
「あっ、あの……それは……」
会則が頭を掠める。
『アインシュタイン倶楽部 会則その一 ・・・ 当倶楽部で話された事柄は口外厳禁とする』
口外しないという点において 『割烹 筧』 の一室も同じ条件ではある。
だが……
羽田さんが信念を曲げて教えてくれたことだ、会則を破るわけにはいかない。
「……申し上げられません」
「戦争末期のことでもあり、私と丸田の関係はあまり知られていない。
それを知っているということは、宗一郎君、君は貴重な情報源を持っているようだな」
「いえ……」
「どうしても言うつもりはないか」
「はい、申し訳ありません」
「女将、聞いたか。彼も祖父さんに似てかなりの堅物だよ」
「まぁっ、私は口の堅い殿方は好きでございますよ」
「ははっ、そうか。私もそうだ。宗一郎君が理美と縁がなかったことが悔やまれる。もっと反対するべきだったな」
顔が引きつるような会長の冗談に、冷や汗が背中を流れていく。
戦争を経験し、経済成長期を戦い、その後の困難を潜り抜け、平坦ではない人生を経験された人の前では、
私の経験や実績など微々たるものだ。
それは丸田会長にも言えることで、侮ることなく心してかからねばならない。
気持ちを引き締めるために、背筋を伸ばし腹に力を入れた。
三宅会長は楽しく酒をたしなまれる。
理美と婚約中に何度か相伴したが、飲めない相手に無理強いすることなく、自分の酒を楽しまれる方だった。
仕事の話もするが、それは堅苦しいものではなく、場を和ませる術をご存知で、飲めない私も三宅会長との会食は楽しみだった。
最近は酒の量も少なくなったと言いながら、今夜は大女将の酌で機嫌がいいのか盃がすすんでいる。
いたずら心も持ち合わせており、会話の中にドキッとすることを挟みこむ。
それは今でも変わっていないらしい。
「大女将は、須藤家と縁続きだったね」
「覚えておいででしたか……先ごろ、近衛さまとご縁ができました」
「おぉ、そうだった。大女将の甥と、宗一郎君の妹が結婚したんだったな。おめでとう」
「ありがとうございます」
大女将と一緒に頭を下げながら、突然須藤家の話を持ち出され心臓が跳ね上がっていた。
縁続きだったねと確かめながら、知弘さんと静夏の関係をしっかり把握しておられる。
その衰えない頭脳に感服した。
会長は私と珠貴のことをすでにご存知なのだろう、知っていて何も聞いてこない。
聞かれたところで返事に困るのだが……
「須藤会長が伊豆に行ってから会うことも少なくなった。お変わりはないだろうか」
「知弘にも子どもが生まれまして、二人とも相好を崩しております」
「ほぉ、それはめでたい。では、ご祝儀代わりに良いことを教えよう」
そういうと、三宅会長は、私が知ることのできない貴重な情報を教えてくださったのだった。
三宅会長を玄関まで見送りながら、後日打ち合わせにうかがいますと告げると 「わかった」 と短い返事があった。
そのあと……
「そうだ、 『シャンタン』 の羽田オーナーに久しく会わないが、元気にしているだろうか。
君が会うことがあれば、三宅がよろしく言っていたと伝えてくれないか」
三宅会長の言葉に固まっている私へ意味ありげな笑みを向けると、 「では これで失礼するよ」 と、高齢とは思えぬ身の軽さで車に乗り込んだ。
車が見送るまで頭を下げ続け、音が消えたところで顔を上げた。
何もかもお見通しか……
背中に、また冷や汗が流れていた。
特許絡みの競争にケリをつけ 『SUDO』 を有利な方向へ導くことだ。
私と珠貴の立場を守るためにも、自ら動くことが肝要だとの思いから友人たちの助けは断った。
元はと言えば正月明けの神社で、須藤社長に無理にお会いしようとして、そこで生じた事態だ。
須藤社長に迷惑をかけるわけにはいかない。
近衛が関わっていることは伏せながら、隠密に動く必要がある。
仕事をこなしながら並行して事をすすめる大変さはあるが、ハードルが高くなるほど意欲がわいてくるのだ。
幾重にも仕掛けられた丸田会長の網を取り除くのは容易ではないが、三宅会長が表に立ってくだされば、効率よく計画が進むはずだ。
大胆にかつ繊細に行動しなければ……
密かに決意し、汗の滲んだ手を握りしめた。
「ひとつ訊ねてもいいかね」
「はっ? はい」
「丸田の天敵が三宅であると、誰に聞いたのかな」
「あっ、あの……それは……」
会則が頭を掠める。
『アインシュタイン倶楽部 会則その一 ・・・ 当倶楽部で話された事柄は口外厳禁とする』
口外しないという点において 『割烹 筧』 の一室も同じ条件ではある。
だが……
羽田さんが信念を曲げて教えてくれたことだ、会則を破るわけにはいかない。
「……申し上げられません」
「戦争末期のことでもあり、私と丸田の関係はあまり知られていない。
それを知っているということは、宗一郎君、君は貴重な情報源を持っているようだな」
「いえ……」
「どうしても言うつもりはないか」
「はい、申し訳ありません」
「女将、聞いたか。彼も祖父さんに似てかなりの堅物だよ」
「まぁっ、私は口の堅い殿方は好きでございますよ」
「ははっ、そうか。私もそうだ。宗一郎君が理美と縁がなかったことが悔やまれる。もっと反対するべきだったな」
顔が引きつるような会長の冗談に、冷や汗が背中を流れていく。
戦争を経験し、経済成長期を戦い、その後の困難を潜り抜け、平坦ではない人生を経験された人の前では、
私の経験や実績など微々たるものだ。
それは丸田会長にも言えることで、侮ることなく心してかからねばならない。
気持ちを引き締めるために、背筋を伸ばし腹に力を入れた。
三宅会長は楽しく酒をたしなまれる。
理美と婚約中に何度か相伴したが、飲めない相手に無理強いすることなく、自分の酒を楽しまれる方だった。
仕事の話もするが、それは堅苦しいものではなく、場を和ませる術をご存知で、飲めない私も三宅会長との会食は楽しみだった。
最近は酒の量も少なくなったと言いながら、今夜は大女将の酌で機嫌がいいのか盃がすすんでいる。
いたずら心も持ち合わせており、会話の中にドキッとすることを挟みこむ。
それは今でも変わっていないらしい。
「大女将は、須藤家と縁続きだったね」
「覚えておいででしたか……先ごろ、近衛さまとご縁ができました」
「おぉ、そうだった。大女将の甥と、宗一郎君の妹が結婚したんだったな。おめでとう」
「ありがとうございます」
大女将と一緒に頭を下げながら、突然須藤家の話を持ち出され心臓が跳ね上がっていた。
縁続きだったねと確かめながら、知弘さんと静夏の関係をしっかり把握しておられる。
その衰えない頭脳に感服した。
会長は私と珠貴のことをすでにご存知なのだろう、知っていて何も聞いてこない。
聞かれたところで返事に困るのだが……
「須藤会長が伊豆に行ってから会うことも少なくなった。お変わりはないだろうか」
「知弘にも子どもが生まれまして、二人とも相好を崩しております」
「ほぉ、それはめでたい。では、ご祝儀代わりに良いことを教えよう」
そういうと、三宅会長は、私が知ることのできない貴重な情報を教えてくださったのだった。
三宅会長を玄関まで見送りながら、後日打ち合わせにうかがいますと告げると 「わかった」 と短い返事があった。
そのあと……
「そうだ、 『シャンタン』 の羽田オーナーに久しく会わないが、元気にしているだろうか。
君が会うことがあれば、三宅がよろしく言っていたと伝えてくれないか」
三宅会長の言葉に固まっている私へ意味ありげな笑みを向けると、 「では これで失礼するよ」 と、高齢とは思えぬ身の軽さで車に乗り込んだ。
車が見送るまで頭を下げ続け、音が消えたところで顔を上げた。
何もかもお見通しか……
背中に、また冷や汗が流れていた。