ボレロ - 第三楽章 -
抑揚を抑えた事務的な浜尾君の声が、丸田望氏に関する事柄を並べていた。
説明に無駄はなく、必要事項が淡々と伝えられる。
私は黙ってそれにうなずくだけだ。
副社長就任以来、重役秘書として常にそばにいて、すべてを任せてきたといっても良い。
浜尾君には絶対の信頼をおいている。
彼女のプライベートの部分を知ることはなかったが、彼女は私の性格のみならず、嗜好や習慣まで把握していた。
浜尾君の細やかな心配りあったからこそ、ともすれば張り詰めた空気が漂うオフィスでも快適に過ごせ、膨大な業務も滞りなく処理できた。
彼女がやめたあと、平岡も堂本も良くやってくれている。
けれど、浜尾君のように痒いところに手が届くようにはいかない。
それは経験値や女性特有の配慮があればこそで、致し方ないことだが。
報告を続ける彼女の声を聞きながら、私は数ヶ月前に戻ったような錯覚に陥っていた。
「……以上ですが、不明な点はございませんか」
「いや、よくわかった。丸田望氏にできるだけ早くお会いしたいのだが」
「わかりました。望氏はこのところ他社との接触が頻繁のようですから、こちらも急いだ方がいいでしょう
近衛さん、近いところで可能な日を教えていただけますか」
「えっ、あっ、うん、今週は……」
聞きなれた浜尾君の声のあと突然聞こえてきた櫻井君の声に、現実に引き戻された思いがした。
丸田望氏が他社と接触しているのはなぜかと気になり、それも聞くつもりでいたのにふいをつかれ、返事はしどろもどろになり舌がもつれかけた。
明日は紗妃ちゃんと出かける予定だから、時間が取れるのは明後日の午後から夜にかけて……などと、言わなくてもいい余計なことが口からこぼれていた。
「では、明後日ということで先方に打診しよう」
「はい、場所と時間はのちほどご連絡いたしますとお伝えします」
「うん」
二人の短い打ち合わせのあと、浜尾君は連絡のため席をはずした。
私が入る隙などどこにもなく、彼らの連携は完璧だった。
話をしながら私に向けられた秘書のときと変わらぬ目と、仕事のパートナーである櫻井君へ向けられた目は、明らかに異なっていた。
自分でも理解しがたいもやもやとした感情が胸にたまり、浜尾君が立ち去った方を複雑な思いで見る。
そのときの私は櫻井君の存在を忘れ、自分だけの思いに浸っていた。
「そんな目を彼女に向けないで欲しいですね。珠貴さんに疑われますよ」
「なっ、なにを」
うろたえる私を、櫻井君が余裕で見据える。
お願いがあります……と、これも落ち着いた声で切り出された。
「誤解を招かないためにも、僕と真琴さんが近衛さんの個人的な秘書を引き受けたと、珠貴さんに伝えていただけませんか」
彼女はそんなことを気にしたりしない……
そう切り返そうと思ったが、言われてみればそうかもしれないと思いなおした。
「わかった 伝えておくよ」 と返事をすると 「できるだけ早くお願いします」 と重ねて言われた。
誤解で珠貴に辛い思いをさせないために、この男はこんな配慮をするのか。
いまだ珠貴への思いが残っているのだろうかと探るように見つめ返したが、澄ました顔からは心の奥は見えてはこない。
「次のアインシュタイン倶楽部の会合には、僕も参加します」
「あっ、うん、ぜひ参加してほしい。みんな待ってる。
次のテーマはなんだったかな、霧島君が担当のはずだが」
「聞いています。丸田会長の孫息子の結婚式を勝手に企てるそうですね。面白そうな企画じゃないですか」
「知ってるって? どうして」
「それだけじゃない 『SUDO』 と 『ミマサカ』 の特許のことも知ってますよ」
あからさまに驚く私へ、ふっと櫻井君が顔の表情を崩した。