ボレロ - 第三楽章 -
「僕もアインシュタイン倶楽部の一員ですから……狩野さんや平岡君から、会のたびに連絡をもらいました」
「そうだ、君も会の一員だ……なるほどね、だから丸田会長の一件も筒抜けだったのか。
真琴が知っているのが不思議だったんだ。それにしては望氏のことがよくわかったな」
「筒抜けってのはひどいな」
「すまない。つい、言葉のあやというか」
今日の私は落ち着きがなく考えがまとまらない。
さきほどから櫻井君に主導権を握られている。
「ふっ……いいですよ。言ってみただけですから」
笑みを浮かべた櫻井君は、私へあっさり許しを与え話を続けた。
「彼女は、リヨンにいる時もあなたのことを気にしていました。
責任を感じて辞めてしまったが、宗一郎さんに迷惑をかけたと言って……
狩野さん経由で丸田会長のことを知り、近衛さんが困ってるらしい、僕らでの力になれないだろうかと話しました。
もちろん倶楽部で話題になったとは言っていません。会則その一は守っています。
僕から話を聞いた彼女は、宗一郎さんなら会長の周辺すべてを調べるはずだと言い出したんです。
調べていくうちに望氏が一族で異端であるとわかると、宗一郎さんが崩すならそこだろうと言って、それは熱心に情報を集めていました」
「そうだったのか。真琴がそこまで……」
責任を感じて退職したが、生真面目な性格ゆえあとあと気になったのだろう。
必死な思いで力になろうとしてくれた浜尾君の気持ちがありがたかった。
「それもやめてほしいですね」
「うん?」
「彼女を、真琴と名前で呼ぶのをです」
「珠貴が誤解するとでも? 君はまだ彼女に未練があるのか!」
櫻井君を睨みつけたが、彼は理解不能だといわんばかりの顔をした。
とぼけるのもいい加減にしろ! と怒りを浴びせる直前だった。
「それは僕のセリフです。近衛さんこそ、いい加減に真琴さんから離れてください。
二度も邪魔をされてはたまりません」
「邪魔って……言うじゃないか」
「何度でも言います邪魔です。さっきもあんな目で彼女を見て、未練でもあるんですか。
あなたが真琴と呼び捨てするのを聞くと、無性に腹が立つんです」
「腹が立つだと? そんなこと知っちゃいない。俺と彼女の付き合いの時間の長さがそう言わせるんだ」
「だから腹が立つんですよ。僕には近衛さんほどの付き合いの長さはない。
どうやっても時間の差は乗り越えられない。
僕にできるのは、彼女に誠実な気持ちを向けるだけです」
「櫻井君……本気なんだな」
「本気ですよ。本当なら、彼女にあなたの秘書なんてさせたくない。
宗一郎さんと呼びかける声だって聞きたくないですね」
「おい、それがクライアントに向かって言う言葉か」
「いま、この場は別です。アインシュタイン倶楽部の中と同じですよ。
近衛さんと僕は、対等の立場であると思っています」
「ふん……そういうことにしておこう。では、これだけ言わせてもらう。
真琴……浜尾君を悲しませるようなことだけはするな。そんなことになったら俺が許さない」
「あなたに言われなくてもわかっています。近衛さんこそ、早く珠貴さんを幸せにしてあげたらどうですか。
いつまで待たせるつもりですか。これじゃ僕が身を引いた意味がない」
これには言葉に詰まった。
それができないから、こうして君たちの力を借りようとしているんだと言いそうになり、それこそ言葉を飲み込んだ。
「相変わらずだな。櫻井祐介の皮肉は強烈だよ」
「宗一郎さん、あなたの凄みもね」
ここまでくると言い合いも馬鹿馬鹿しくなり、どちらからともなく笑みが出ていた。
櫻井君がさりげなく私を名前で呼んだ。
名前の呼びかけが、我々の間に燻っていたわだかまりを消し去った。