ボレロ - 第三楽章 -
須藤邸の庭は、新緑のこの時期もっとも美しい季節を迎える。
屋敷を囲む木々や庭の花木の手入れをこまめにする時でもあると教えてくれたのは、須藤邸の庭の管理を任されている造園家の北園さんだ。
樹木が綺麗に刈り込まれた玄関前を横目に、屋敷裏にある通用門へと車を走らせた。
昨夜、無自覚な発言で珠貴にあきれられ、彼女に謝らなければと思うものの、なにをどう謝ればいいのかわからないままだ。
今日は休日で珠貴も家にいるはずだが、紗妃ちゃんや須藤夫人の前で内輪揉めの謝罪をするわけにもいかず、かといってこのままにしておくこともできない。
予定外に須藤社長が在宅していたら、それこそ気まずいことになる。
予定よりだいぶ早くついたが、約束の時刻ギリギリまで時間を過ごそうと屋敷裏に回った。
思ったとおり腕組みをしながら職人に指示する北園さんの姿が目に入り、作業の邪魔にならない場所に車をとめた。
通用門近くに止まった車に気がついた北園さんはいぶかしげに見ていたが、車から下りたのが私だとわかると、年齢を感じさせない軽やかな走りでこちらにやってきた。
「近衛の若じゃないですか。裏に回ってどうしたんですか?
はっはぁ……珠貴お嬢さんと秘密の待ち合わせですか」
「まぁ、そんなところです」
「ほぉ、わたしの勘もたいしたもんだ」
「みなさんでどうぞ」
「おっ、嬉しいなぁ。ありがたくいただきます」
差し出した包みに顔をほころばせ、北園さんは菓子の包みを押し頂いた。
すみませんとか、申し訳ない、といった遠慮した言葉はなく、いつも笑顔で気持ちよく受け取ってくれる。
その顔が見たくて、私は北園さんへ手土産を持参しているのかもしれない。
北園さんとの出会いは、須藤家で行われたガーデンパーティーだった。
須藤家に行かれたら、ぜひ庭を見てきてくださいと我が家の庭師に勧められた。
同業者の間でも評判の庭であるということだった。
華やかなパーティーを遠目に見ながら庭を散策し、庭の片隅で身を隠すように作業をする北園さんに声をかけたのが最初だった。
須藤邸の庭を見るように勧められたと話すと、職人気質のその人は謙遜しながらも喜びをみせてくれた。
私が 「親方」 と呼びかけたのがとても嬉しかったと、あれからずいぶんたつのに、いまでもときどき話題に上る。
その道を極めた職人というのは、男の目から見ても惚れ惚れするものだ。
ともすれば、今の私には近寄りがたい須藤家だが、北園さんの顔が見えると安心して気持ちも
落ち着いてくるのだった。
北園さんは私を 「近衛の若」 と親しみを込めて呼んでくれる。
当初は照れくささもあったが、北園親方からそう呼ばれると、こちらまで粋な気分になってくる。
そんな北園さんを、私は慕い頼りにしている。
今日も不安の種を取り除くため、表玄関より先に裏門へと回ってきたのだった。
「社長は出張中だそうですね」
「えぇ。昨日の朝、作業をしながら見送りましたよ。
二泊三日だと言っておられたが、あっ、わかった。鬼のいぬまにですかい?」
「あはは、親方にはかなわないなぁ。
須藤社長は不在だと聞いていましたが、まっすぐ玄関に入りにくくて……
で、親方の顔を見に、ここに」
「飛ぶ鳥を落とす勢いの近衛の若も、お嬢さんの親御さんは苦手ですか。そりゃそうですね。
まぁ、わからんでもないが、いつかは真っ向勝負を挑まなくてはならない。
避けてばかりじゃ進みませんよ」
「そうなんですが、その真っ向勝負を挑んで、あっさりかわされてしまいました。
手強い相手です」
「ありゃ、そうでしたか。だが、ここで引き下がっては男がすたる。いや、若ならできる。
社長は生真面目で真っ正直な人だ。おまけに、曲がったことが大嫌いときてる。
だが話のわからない人じゃない」
「それは頑固ってことですか……」
「そうだが、頑固なだけじゃない。困った相手には親身になって力を貸す、情に厚いお人だ。
友人の方が苦しい時、影になり支え続けたそうですよ。なかなかできることじゃない。
いやね、たまたま社長のお友達だって方がウチのお客さんでしてね。
親父さんは大きな会社の社長だか会長だか偉い人だが、親父さんに反発して家を出て、それを、こちらの社長がずっと力になってたって話でした。
丸田さんの話には、俺ももらい泣きしました」
「丸田さんって、あの昭和織機の丸田さんですか!」
「さすが若、顔が広いや。そうです、その丸田さんの息子さんだそうですよ」
北園親方の腕をつかみ、もっと話を聞かせてもらえませんかと詰め寄った時だった。