ボレロ - 第三楽章 -


「お庭の奥からお声がすると思いましたら、宗一郎さん、こちらでしたか」


「お邪魔しております。早くつきましたので、親方にご挨拶をと思いまして」


「まぁ、そうでしたの。珠貴がいればお相手しましたのに、あいにく出かけておりますのよ」



話の途中からやってきたのは、珠貴の母親の須藤夫人だった。

親方に挨拶をしにここに来たとは、我ながら苦しい弁解だと思ったが、口に出してしまったあとだ。

珠貴がいないと聞きホッとしながら、彼女も私と顔を合わせたくなかったのかと複雑な思いがした。



「親方、またお話を聞かせてください」


「はいよ。いつでもどうぞ」



人懐っこい顔をみせ、差し入れの菓子包みを掲げて礼を言っていたが、すっとそばに来て 



「奥様は若を気に入っています。大丈夫、心配はいりません。

あとはどんどん押すだけです。頑張ってくださいよ」 



ありがたい応援をもらった。


それにしても、須藤社長が丸田氏の友人だったとは……

意外なとことろで耳にした情報に気持ちが軽くなり、足取りも軽く須藤家の玄関をくぐった。





「ごめんなさいねお待たせしてしまって、もうしばらくかかりそうです。

女の子のおしゃれは長くて」


「まだ時間はありますから、ゆっくり仕度をするように、紗妃ちゃんに伝えてください」


「ありがとうございます。少々失礼いたしますね」



そういうと紗妃ちゃんの様子を見に行ったのか、夫人はいったん奥へ下がったが、ほどなく自らトレイを手に応接間に戻ってきた。

勧められ 「いただきます」 と礼をのべてカップを口元に運ぶ。

紅茶の深い香りに誘われ一口含んだ。



「宗一郎さん」


「はい」


「珠貴をお願いいたします」


「はっ?」



紗妃をお願いいたします……と言われたのかと思ったが、そうではなかった。 

姿勢を正した須藤夫人から 「珠貴を頼みます」 とふたたび頭が下げられ、あわててカップを戻し、私も背筋を伸ばした。



「はい……そのように言っていただけるとは……ありがとうございます」


「主人は、守ってきたものを珠貴に引き継ぐことが、何より大事だと信じてまいりました。 

先だってもお話しましたが、宗一郎さんだから反対しているわけではありませんのよ。 

おそらくどなたでも……」


「覚えています。私もお返事したとおりです。社長のお気持ちが変わるまで待つつもりです」



先だってというのは、珠貴が浅見君とともにマンションに閉じ込められたあと、体調を崩し
入院したおりのこと。

珠貴の病室へ日参した私に気持ちを許してくださった夫人から、須藤社長が反対するもうひとつの理由を聞かされたのだった。

珠貴に婿養子を迎えることにこだわっているのは、娘を思う父親の深い気持ちからだとわかり、私は辛抱強く待つ決心をした。


 
「周囲の棘のある声から守ってくれたのは主人です。 

ずっと女ばかりだと言われてきて……そんな私の気苦労を気遣ってくれました。 

娘にも同じ思いはさせたくないばかりに 宗一郎さんへあのように強い口調で……

主人の答えはすでに出ているのに、自分の気持ちを認められず意地を張っているのでしょう。

もうしばらくお時間をいただけないでしょうか。私が必ず説得いたします」


「いえ、それは私がなすべきことと考えています。

私のほうこそ力が足りないばかりに、珠貴さんにもご家族のみなさまにも、ご心配をおかけいたします」



須藤夫人の目が潤み、私はなんと言葉をかけてよいか戸惑った。

控えめなノックの音がして、ドアから紗妃ちゃんが顔をのぞかせた。



「あのぉ……」


「まぁっ、そんなところから覗くなんてはしたない。こちらにきてご挨拶をなさい」


「だって、お取り込み中みたいだったから、入りにくくて」



そう言いながら、まだドアに体を隠したままだ。

今の話を彼女に聞かれたのではないかと、私も夫人も紗妃ちゃんの顔を窺ったが、とりたてて
変わった様子はなく、ひとまず胸をなでおろした。

須藤家のもう一人の娘である紗妃ちゃんにも、できるなら聞かせたくない話だった。

「ここにきて、よく見せて」 といった私の声に恥ずかしそうに入ってきたが、そこはいかにも紗妃ちゃんらしく、スカートの裾をもってくるりと一周して見せてくれた。



「では、お嬢さま、参りましょうか」


「はい、お願いします……ふふっ、照れちゃうな」



差し出した私の手に自分の手を重ねながら、恥ずかしそうに笑っている。

薄っすらと化粧をした顔が上気していた。


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