ボレロ - 第三楽章 -
「ドアマンの遠堂さん、わたしとそんなに歳も違わないのに、もうプロなんですね」
「彼はそうとも言えないかな。まだ大学生だからね」
「えっ、アルバイトですか?」
「正社員になったかどうか、それはわからないがアルバイトじゃないはずだ。
大学の二部に通いながら仕事をしている」
「大学の二部って、あの……」
「大学の夜間部だよ。初めて聞いた?」
「はい」
「仕事は、夕方からの授業に出られるようにシフトを組んであるそうだから、働きながら勉強ができる。
今日は講義がなかったんだろうね、夜彼を見かけるのは珍しいよ」
「働きながら大学に通ったら、遊ぶひまなんてありませんね」
「だろうね」
それまでの笑顔が消え、考え込んだ表情になった。
黙ったままデザートを口に運び 食べ終えると
「ごちそうさまでした。今日はありがとうございました」 そういってひと呼吸おくと、さらに顔の表情を引き締めた。
「わたし……このままじゃいけないって、そう思いました」
「どうしたの?」
「高校に通うのも大学に行くのも、そんなの当たり前だと思ってたけど、当たり前じゃないですね。
なんの心配もなく通えるのに、不満とか文句を言ったり……なんか、うまくいえないけど……
とにかく頑張ります」
働きながら大学に通う遠堂君の姿に刺激をうけ、真剣に仕事に向き合うプロから大事なものを感じ取ったようだ。
紗妃ちゃんの 「頑張ります宣言」 を頼もしく聞いた。
『シャンタン』 で羽田さんが示してくださった好意は、私にもある出会いをもたらした。
食事を終え、エレベーター前のロビーで、紗妃ちゃんへ年配の男性から声がかけられた。
「須藤紗妃さんですね」
「はい」
「私は、あなたのお父さんの古い友人です。
紗妃さんが生まれたとき、お宅にお邪魔したんですよ。
そのお嬢さんの誕生日のお祝いに会えるとは……おめでとう。
いくつになったか聞いてもいいですか?」
「あなた、女性にお年を聞くのは失礼ですよ」 と言いながら、横に立つ男性の妻らしい女性も紗妃ちゃんを微笑ましく見つめている。
「16歳です。あの……お名前を伺ってもよろしいですか」
「おぉ、そうだ。名前も言わずいろんなことを言って失礼したね。
丸田と言います。お父さんによろしく伝えてください。
あっ、いや、会ったことは内緒にしてもらってもいいかな。
いずれ伺うつもりなので、それまでは秘密ということで」
「はい、わかりました」
丸田と名乗った男性は、驚き立ち尽くす私へ名刺を差し出した。
「近衛さんですね。明日、あらためてお目にかかりましょう」
渡された名刺には、明日の夜会う予定の人物の名前と肩書きが記されていた。
北園さんから須藤社長と丸田望氏の関係を聞き、その夜本人と会うことになろうとは……
『物事が進みだすときは、恐ろしいほどに偶然が重なるものです』
アインシュタイン倶楽部で羽田さんが口にした言葉の通りだ。
ゆるやかだった流れが勢いよく流れ出し、時が私に味方してくれようとしている。
私は丸田氏との交渉に自信を深めた。