ボレロ - 第三楽章 -


庭園を眺めることができるレストランは女性客に人気があり、昼は華やかな装いに包まれるが、夜は落ち着いた雰囲気が漂っている。

宗もアルコールを口にしたいときがあるのだろうか。

ワインをオーダーした彼を不思議そうに見ると 「珍しいだろう?」 と口角を上げて曖昧な笑みを浮かべた。

口数が少なくなった彼も気になっていたが、苦手なはずのワインを口にする彼も気になった。

まだ決まったわけでもないのに、私が結婚式について熱心語ったことで、彼に窮屈な思いをさせてしまったのか。

それとも、ほかに気が滅入ることでもあったのか…… 

「どうしたの?」 と聞きたい気持ちを押し込め、明るく話しかけた。



「紗妃だけど、急に猛勉強を始めたのよ」


「紗妃ちゃんも受験を意識する頃だろう」


「大学は内部進学だと思っていたら、ほかの大学を受験するつもりだからって、驚くことを言い出したのよ」



紗妃が通う私学は大学の付属校であり、成績を保っていればそのまま大学に進学できる。

同級生のほとんどは同じような選択をするため、紗妃も当然そうだろうと思っていた。



「勉強熱心になったのは、宗と出かけた夜からなの。

それまでもそれなりに勉強はしてたけど、がむしゃらではなかったわ。

それが、一夜明けたら突然勉強に目覚めたのよ。夕食後もすぐ部屋に戻って机に向かっているみたい。

最近では朝早く起きて、朝食まで勉強してるのよ。

起こされるまで寝ていた子がこんなにも変わるなんて、母は喜びながら、一方では心配もしてるわ。 

留学するなんて言い出すんじゃないかって。 

ねぇ、あなたとお食事をしたとき、紗妃にアドバイスでも? それとも何かあったの?」


「アドバイスなんてしてないよ。何かあったというなら……丸田常務に会ったことくらいかな。

君のお父さんの友人だといって、紗妃ちゃんに話しかけてきた。 

だけど、それで勉強しようと思うだろうか」


「丸田常務にお会いしたことは紗妃から聞いたわ。ほかには?」


「ほかには……このホテルでお仕事をしているみなさんはすごいって、えらく感心してたな。

そういえば、高校や大学に行くのは当たり前だと思っていたが、当たり前じゃないことに気がついた。 

心配もなく通えるのに文句を言ったらいけない、自分も頑張るって、そんなことを言ってたよ」


「そうだったの……みなさんの真剣な姿に何かを感じたのね」


「遠堂君が大学の二部に在籍してると話したら、遊ぶヒマなんかないですねって言ってたな。

彼に負けられないと思ったんだろう。刺激を受けることはいいことだ」


「ドアマンの遠堂君ね。彼は努力家ですもの、私も彼を応援しているのよ。 

まさか、遠堂君に憧れて……

あの子、遠堂君と同じ大学を目指そうとしているのかも。それなら猛勉強の説明もつくわ」



遠堂君は理系学部の二部に通いながら大学院進学をめざし、無事に合格している。

4年次には二部から普通学部へ転部したそうで、転部するには学業優秀でなければならないのだと、宗も感心していた。



「彼と同じ大学を目指すなら頑張りもわかるね。いいんじゃないか? 

高みを目指すのは悪いことじゃない。

お嬢さまどドアマンの恋か。ははっ、話題性としては最高だな。 

紗妃ちゃんのために 優秀な彼を 『SUDO』 が青田刈りってのもアリだぞ」


「やめて、私の二の舞にさせるつもりはないわ」


「珠貴……すまない、冗談が過ぎた」



宗の顔が一瞬にして曇った。

私と婚約寸前だった岡部真一が、将来へ備えて父の会社に入っていたことは宗も知っている。

彼は私のために 『SUDO』 に入社したが、重圧に耐え切れず私の元を去った。


< 214 / 349 >

この作品をシェア

pagetop