ボレロ - 第三楽章 -
外からの視線を遮るためブラインドがおろされたままの部屋は、照明の点灯で薄暗さが解消され一気に活気づいた。
マンションの一室に設けられた小さなオフィスは、三方を壁に囲まれているが閉塞感はなく、柔らかな壁紙の色と同じ色調で統一された家具により広がりさえ感じられる。
そこには、私が必要とするアイテムがすべてそろっていた。
「ほかのお部屋もご覧ください。必要なものがございましたら、すぐにご用意いたします」
「ありがとうございます。本当に何から何までお願いしてしまって、申し訳ないわ」
「室長、そのようにおっしゃられては困ります。これは私の仕事ですから」
「そうですね。でも、浅見さんの ”室長” もどうかと思いますけど」
「須藤さまとお呼びした方がよろしいでしょうか」
「それもねぇ……わかりました。ではそのままで」
「はい、室長」
『SUDO』 にいたころに戻ったようです、と浅見さんが嬉しそうな顔をした。
退職した彼女が私を役職で呼ぶのは、以前のような関係でありたいと願う気持ちがあるのかもしれない。
秘書の顔になった浅見さんに招かれ、入り口近くの部屋を出て奥へと進んだ。
マンションの間取りは三つに分かれていた。
玄関近くの部屋は私たちのオフィス、リビングを抜けた奥にはプライベートルームと寝室を兼ねた部屋があり、今日から生活ができる準備が整っていた
キッチンに続くリビングは充分な広さがあり、大きなダイニングテーブルが置かれていた。
「こんなに大きなテーブルが必要なの?」 そう浅見さんに聞くと、「いずれ必要になりますので」 と先を見越した返事があった。
部屋に似合わぬ大きなテーブルを誰が囲むのかと、気になりながらもあえて質問は避けた。
彼女に任せておけば間違いないのだから。
どの部屋も前からそうであったようにしっくりと馴染み、短時間で整えたとは思えない。
三日間でこれらを準備した浅見さんの能力は、各部屋を見ただけでも並大抵ではないとわかるというもの。
お世話になりましたとねとぎらうと、いいえ……と謙虚な言葉が返ってきた。
対立した過去などなかったように、私は浅見さんを全面的に信頼していた。
「コーヒーはいかがでしょう」
「いただきます」
浅見さんの手でコーヒーが運ばれ、テーブルにそっと置かれた。
女性にしては大柄な手だと気にしていたが、カップを扱う仕草はとても美しく、コンプレックスを補うため彼女が努力した成果が所作に現れている 。
知弘さんの秘書だったころ、完璧すぎる仕事ぶりに感心しながら、冷ややかな感情も持ち合わせていた。
疑いの目を持ち始めてからは、油断のならない人物として警戒していたこともあり、冷ややかな感情は増していった。
浅見さんに対する見方が変わったのは事件解決後のこと。
彼女の身に起こった不幸を知り、新たな感情が芽生えたのだった。
当時の私と浅見さんをあえて区分するなら、被害をこうむった者と危害を加えた者になる。
とはいえ、かの事件において彼女は被害者でもあった。
そんな二人がこうして穏やかに向き合っているのだが、少なくとも私は浅見さんに対してわだかまりは残っていない。
一昨日は事件以来の再会だったが、浅見さんへ負の感情はなく、彼女に感じたのは懐かしさと親しみだった。
「須藤室長」 と声をかけられたのは、北欧の家具を扱う専門店のフロアだった。
同じビルの上階に顧客を訪ねたあと、ふらりと立ち寄った店内で浅見さんと再会した。
向き合うと、彼女は 「その節はお世話になりました」 と深くお辞儀をし、私へ笑みを見せてくれた。
「その節はご迷惑をおかけしました」 と言われたのなら、私が抱いた感情は、また違うものになっていたかもしれない。
彼女の口から出てきたのが、謝罪ではなく感謝の言葉だったことが安堵をもたらした。
居合わせた場所柄から 「ご新居の家具をお探しですか」 と聞かれた。
「いいえ、なんとなく見にきただけなのよ」 と言った私を怪訝そうな顔が見つめた。
「新居の家具を選ぶ前に難問が山積みなの。父が相変わらずで、私も彼も苦労しているわ」
「須藤社長は、まだ……そうですか」
「娘を守るために須藤の家から出すつもりはない、なんて言い出して、みんな振り回されているところなの」
いっそう首をかしげる浅見さんを相手に、私は聞いて欲しいとばかりに近況を語り、彼女は熱心な聞き手になってくれた。
女のおしゃべりというのは、そこがどこであろうと途切れることなく続くもの。
けれど、人気がなく静か過ぎる家具のフロアは立ち話には不向きだった。
「お茶でもいかがでしょう」 と浅見さんからお誘いがあり、私たちは場所を変えた。