ボレロ - 第三楽章 -

14, con passione コン パッショーネ (情熱的に)



長い指のどこにも飾りはなく、指先の爪にも凝った色彩はない、だからこそ本来の美しさが見えるものだ。

相手の手を観察できるほど私の気持ちは落ち着いているが、彼女はそうではないらしい。

テーブルの上で組まれた指が、私の話にいらだつようにせわしなく動いている。

黙って首を動かし相槌を打っているが、感情の乱れが指先に表れていた。

珠貴の告白を聞いた翌日、私は珠貴の親友である結歌さんに会った。




「……家を出たが、珠貴がどこにいるのかわからない。誰にも知らせていないと言ってたな」



私の言葉に反応して、彼女は指をきつく握り締めた。

疑問が浮かんだ顔は不満そうで 「どうして居場所を隠すのかしら」 と、おおげさなほど顔をしかめた。

椅子の背に体を預けることなく姿勢良く座り、長い足もそろえられたままだ。

女性にしては長身の結歌さんは、そのままでもある種の迫力があるが、今日は一段と気迫に満ち溢れている。


『結歌は感情が豊かなの。気持ちに素直なの。彼女のように表裏のない人は珍しいわね』 


珠貴が言うように、結歌さんは感情豊かで裏表のない人だ。

だから嘘には敏感だ、真実を話さなければならない。

昨夜の出来事をできるだけ穏やかに話した。

彼女を怒らせるだろう最後のひと言を言い終えると、予想通り顔の表情が一気に変化したが、「えっ」 と言ったあとの言葉の激しさは予想以上で、私は思わず目をつぶった。



「なにもかも宗さんに話したって、珠貴ったら何を考えているのよ! どうして!」


「彼女も黙ったままでは辛かったんだと思う。だから……」


「だから? だからなに? 別れた彼のことまで言っちゃうなんて信じられない。  

このまえは婚約指輪はいらないって言い出すし、今度は過去までぶちまけて、これじゃ宗さんと結婚したくないって言ってるのも同じでしょう。

これでいいの? 宗さん!」


「結歌さん、落ち着いて」


「これが落ち着いていられる? 冗談じゃないわ!

宗さんを珠貴のお父さまに認めてもらいたい、幸せになって欲しいと思ってるのに、それをぶち壊すようなことを自分から言うなんて、ホンッとどうかしてるわ。

珠貴の過去を聞いて、宗さんがいい気がしないってことくらい、わかるはずでしょう!

それも、ただの恋愛話じゃないんですよ。 

婚約間近の恋人が消えて、消えた理由はとても許されるものではないけれど、ごくプライベートな部分だわ。 

隠したとしても、珠貴を責める人はいないのよ、そんなの言わなくてもいいことじゃない!」



外国の暮らしが長い結歌さんの身振り手振りは、必要以上に大きい。

それを差し引いても今の怒りの度合いは大きく、友人の言動に心底腹を立てている。

ここが個室でなければ、私は女性に一方的に怒られ小さくなっている男として、周囲の注目を浴びたことだろう。

結歌さんに会うために 『割烹 筧』 の奥の間を選んだのは、間違いではなかったようだ。

ほかの部屋と異なり、テーブルと椅子が置かれた一室は、座敷に不慣れな外国の客人を迎えるために利用されることが多い。

座卓ではなく椅子に座って懐石を食するが、室内装飾は割烹本来の趣を残したままだ。

日本人でありながら日本人離れした結歌さんには、この部屋が良く似合う。

激した結歌さんの声を聞きながら、部屋と彼女の相性を考えられるほど、私は不思議と落ち着いていた。



「結歌さんがそう思うのも無理ないと思う。でも、珠貴の思いもわかってもらえないかな」


「わかりません」



泣きそうな顔がかたくなに否定するのは、それほど珠貴を大事に思ってくれているということだ。

まずは結歌さんの心をほぐさなければ……私はつとめてゆっくり話しかけた。



「確かに、彼女の話を聞いて楽しい気分じゃなかった。

流産だったかもしれないと聞いて複雑な思いだった。彼女の過去を見せ付けられたんだからね。

だけど、聞かなければ珠貴の苦しみを理解することはできなかった。

隠そうと思えば隠すこともできたのにあえて言ったのは、俺にわかって欲しかったからだと思う」


「……でも」


「電話で話したあと彼女に会った。話しながら泣いてたよ」 


「珠貴が泣くなんて、私も見たことないわ」



傷心のままイタリアへきた珠貴が心配で、結歌さんは時間が許す限り一緒に過ごしたそうだ。

かなりの時間をともに過ごしたのに、珠貴が涙することはなく、無理に明るく振舞っていた姿が痛々しかったと、当時の様子を話してくれた。



「真一さんが突然消えて、心も体も辛かったはずなのに、それでも泣かなかったんですよ。

でも、珠貴、宗さんの前では泣けたのね……気持ちが楽になったのかな」
 

「珠貴の話を聞いても気持ちの揺れはなかった。もっと大事にしたい、これからも一緒にいたいと思った」



私の正直な思いだった。


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