ボレロ - 第三楽章 -
「須藤社長の承諾があればそのまま入籍とは、少々無謀だと思いましたが、宗一郎さんのことだ、それ相応の準備はできているんでしょう?
そうでなければ動きが取れないはずだ」
「近衛の両親と珠貴の母親には了解済みだ。伊豆の須藤会長にも話を通した」
「珠貴さんが、近衛家の籍に入る結婚を解してもらった……ということですか」
「近衛の両親は、須藤社長の了解を得られればと条件付だが」
珠貴と縁談があった櫻井君だけに的確な質問を向けてくる。
家を出るつもりだと聞き、彼女の誕生日までの目標を婚約から結婚へ変更した。
近衛の両親へ結婚の意志を伝え、須藤家の今の状況を話したところ、須藤社長の了解を条件付きに父も母も結婚に賛成してくれたのだった。
母は、珠貴の気持ちを一番に考えるようにと言葉を添えた。
伊豆の須藤会長夫妻には、珠貴のお母さんとともにお会いし、会長から 「珠貴を頼む」 と力強い言葉をいただいた。
珠貴のお母さんも賛成してくださったが、
「夫を孤立させたくありません。最後まで味方でありたいと思っております」
と苦しい立場も明かされた。
「あとは須藤社長を攻めるだけですね。もちろん策はありますね」
「それは珠貴に任せた。父親と娘の思いが平行線のままでは何も解決しない。
紗妃ちゃんまで抵抗しているんだ、長引くのはまずいと思うが、こればかりは俺にはどうにもできないからね」
「珠貴さんは内から、宗一郎さんが外から攻めるのか……」
「宗一郎さんが結婚の準備をしているとわかったら、珠貴は驚くわね」
「でも、よろしいのでしょうか、ご婚約期間を過ごされなくても……
婚約の時期を楽しみにされる方も多いそうですが」
浜尾君の言葉は控えめながら、婚約も結婚式もなくては珠貴が可哀相だと目が訴えている。
「俺も結婚式は避けられないだろうと思っていたから、それとなく彼女の意向を確かめたんだが……
結婚式そのものにこだわりがないらしい、婚礼衣装にも興味がないそうだ。
形式より気持ちの問題だと言っていたよ」
梶原さんの結婚式の最終打ち合わせのおり、狩野に協力してもらいながら珠貴の意向を聞きだしたが、まさかあそこまでシンプルな考えだとは思わなかった。
「私も聞いてびっくりしちゃった。婚約指輪なんて必要ない、意味がないなんて言うんですよ。
珠貴らしいと言えば珠貴らしいけれど」
「珠貴さんのお気持ち、よくわかります。
私もそうですね。形や形式よりも大事なものがありますから……」
浜尾君が自分に言い聞かせるように何度も頷いている。
櫻井君へ目を向けると、やけに嬉しそうな顔をして浜尾君を見ていた。
二人の様子を見守っていた浅見君へ 「珠貴から話を聞いたそうだね」 と、そっと話しかけた。
驚く彼女は 「私も室長のお気持ちがわかります。同じような思いをしていますから……」 と、掠れた声で伝えてくれた。
ここにいる誰もが、珠貴を心配し理解してくれている。
私にはそれが嬉しかった。
それほど親しくなかった顔ぶれの会食は遠慮があるだろうと思っていたが、漆原さんが 「前祝いだ 乾杯!」 と言ってくれたことから一気に盛り上がってきた。
結歌さんはアルコールに強く、漆原さんと陽気に杯をかわしている。
「それにしてもうまい酒だな」
「大吟醸ですもの、美味しいに決まってます」
「うわっ、半端なくうまいと思った。宗一郎さん、自分は飲まないのに太っ腹だね」
美味しい酒を出して欲しいと頼んでおいたのだが、かなりの上物を用意してくれたようだ。
「残念ながら、俺には大吟醸の素晴らしさはわからないが、喜んでもらえて良かった。
これから面倒なことを頼まなくてはならないからね。ほんの気持ちですよ」
「面倒でも宗一郎さんの頼みなら何だって聞くつもりだが……
ってことは、懐石料理と大吟醸で、俺たちは宗一郎さんに抱きこまれたのかな」
「そうそう、懐柔されたんですよ。飲んで食べたからには、もう逃げられませんね。
だが、計画が成功したら、もっといいことが待っているかもしれませんよ。
それに、僕らが困ることがあれば宗一郎さんをあてにすればいい。どんなことだって助けてくれそうだ」
「そうだよ、すでに恩は着せた。嫌とは言わせないね」
漆原さんと櫻井君の掛け合いが面白いと言って、結歌さんは笑い転げている。
浜尾君と浅見君は、そんな結歌さんの様子を見て笑っていた。