ボレロ - 第三楽章 -
みなを玄関まで見送り一息ついた。
『割烹 筧』 をぐるりと囲う垣根の新芽が鮮やかで、言うともなしに 「新緑の息吹きか……」 と声にしていたようだ。
まだ残っていたのか、櫻井君が近づいてきた。
「そんな言葉が、あなたの口から聞こえてくるとは思わなかったな。
もっとも、恋をすれば誰でも詩人だそうですが」
「犬でも詩人になるそうだ」
「宗一郎さんも丸くなりましたね。以前のあなたなら、僕に食って掛かってたのに」
「そんなこともあったね」
いつだったか、珠貴と一緒にいた櫻井君と口論になったのは、ちょうどこのあたりだった。
珠貴と櫻井君の縁談話が持ち上がったばかりで、それだけでも気分が鬱々としていたのに、彼は自分の方が有利だと余裕で、私を挑発する態度に怒りを抑えられなくなった。
どちらも引かず語気を強めた口論になった。
珠貴が親の言いなりにはならないと口にしたことでその場は収まったが、その後も珠貴を挟んで彼とにらみ合ってきた。
「『筧』 でよく顔が会いましたね。宗一郎さんに会うたびに、わけもなく腹が立った」
「俺も、君の顔が見えると敵意をむき出しにしていた」
「それがいまや、あなたを応援しているんですから。人生なにが起こるかわからない」
「今の言葉をそのまま返すよ。君と浜尾君だってそうだろう」
「まぁ、そうですが……」
私の言葉を否定せず、むしろ肯定する返事がかえってきた。
「祐介さん」 と背後から呼んだ浜尾君に 「車で待っててくれないか」 と彼は優しい顔で言葉を返した。
二人は恋人なのか、仕事のパートナーなのか、それ以上なのか、傍目にはわからない。
しかし、自分を責めかたくなになったまま日本を飛び出した浜尾君を、櫻井君はフランスまで追っていったのだから、二人の関係は軽いものではない。
「宗一郎さんの動きをもう少し詳しく話してもらえませんか。私設秘書として知っておく必要がありますから。
秘書は浜尾君だ、君じゃないなんて言わないでくださいよ。僕は彼女のパートナーですから」
「そうだね……君たちには話しておくべきだな。
伊豆の会長が、早く入籍した方が良いといってくださった。
家を守ろうとするあまり娘たちを追い詰めてしまったと、珠貴のお母さんが言っていた。
須藤社長と板ばさみになっておられる、辛そうな様子だった」
「そうですか……結婚するといっても、入籍だけでは近衛家も須藤家も周囲が黙っていないでしょう。
無理押しして大丈夫ですか?
近衛家の方がしがらみも多いはずだ。
相談もなかったと、宗一郎さんへ風当たりが強くなるんじゃありませんか」
「それは覚悟の上だが、できるなら避けたい。
漆原さんの記事が出れば少しは和らぐだろうからね」
「そうですね。世間の目を味方につければ心強い」
「伊豆の会長がこんなことをおっしゃってくださった。
婚約や結婚式の準備に時間をかけるあいだにいろんなことが噴出してくる。
横槍をいれる者もいる、だが入籍してしまえば認めざるを得ないだろうとね」
「大胆な発想ですね。さすが会長だ。
だけどいきなり入籍ってことになれば、オメデタを疑われませんか?
それが本当ならもっとおめでたいでしょうが」
「残念ながら子どもは間に合わなかった。既成事実があればこんなに苦労はしなかったよ」
「言うじゃありませんか。そうしなかったのは珠貴さんのためでしょう?
子どもができて結婚を決めるカップルは少なくないが、須藤家側は反対したくても認めざるを得ませんからね。
いつまでも須藤社長と分かり合えないままでしょう。それでは珠貴さんがかわいそうだ」
「櫻井君、さすがに須藤家の事情がよくわかってるな。妬ましいくらいだ」
「ははっ、宗一郎さんに妬まれるのも悪くないですね。
じゃぁ妬まれついでに、ひとついいことを教えてあげます」
苦虫をつぶしたような顔をしていただろう私へ得意そうな顔を向け、須藤家の見えない事情ですとニヤリと笑った。