ボレロ - 第三楽章 -
「こうなると、静夏ちゃんが日本にいなくてよかったのかもしれないわね。
大事な時期ですもの、精神的な負担は体によくないわ」
「ふっ、それが……どうも彼女は、自分だけ安全地帯にいるのが
気に入らないようだ。
安定期になっ、乗り込んできそうな気配だった」
「まぁ……でも、静夏ちゃんらしいわね」
愛する人の心を思い、互いの身を案じ、それは心の安定につながっていく。
心配だと言いながら、静夏ちゃんのことを話す知弘さんの顔は幸せそうで、
パートナーを得て落ち着きを増した顔が眩しかった。
宗……あなたは、どうしているの……
窓の外へと目を向け、いまは会うことも叶わない彼の姿を思い浮かべた。
宗に触れることのできないじれったさが、体の奥の疼きを引き出してくる。
仕事や互いのスケジュールの関係で何日も会えないことなど、いままでいく度
となくあった。
けれ、会える日を楽しみに待つことができた。
まだ三日しかたっていない、それなのに、耐え難いほどの苦しさが胸にあふれ
ている。
会うことさえ叶わない状況が、私の心を乱すのだった。
愛する人と離れていても思いあう気持ちに満たされ、幸せそうな知弘さんの顔
を見ているからなおさらなのか、宗に会えない辛さが募っていた。
「雑誌社に、情報を提供した人物がいたようだ」
「えっ」
物思いにしばし気持ちが遠くへと飛んでいた私の耳に、聞き流せない言葉が
入ってきた。
知弘さんの顔は厳しく引き締まり、さきほどの柔らかさは完全に消えている。
「どの記事ですか」 と聞いたのは堂本さんで、その顔も険しさに包まれて
いた。
「写真週刊誌だ。匿名の人物が、近衛宗一郎が女性たちと会う時刻と場所を
雑誌社に流したらしい」
「目的はなんでしょうか。単なる交際の暴露ではないように思われますが」
「浅見さん、私も同じ疑問を持ちました。
三人の女性の誰かが、本当のターゲットだったのではないかと
私は考えています」
「そうでしょうか。私が申し上げたいのは、
お三方になんらかの共通点があるのではないかということです。
そうでなければ、わざわざ三人の写真の必要はありませんから」
「なるほど。ですが、あとの二人はカモフラージュだとは考えられませんか?」
「仮にそうだとしましょう。堂本さんがおっしゃるようにターゲットが
ひとりなら、情報を持ち込んだ人物が、読者の目をごまかすために仕組んだと、
そういうことでしょうか」
「えぇ、そうです」
「飛躍しすぎでは?」
「可能性として追及するのは、悪いことではないと思いますが」
「可能性ですか……おっしゃるとおり、可能性を排除してはいけませんね」
頭脳が戦う光景は圧巻だった。
丁寧な言葉でありながら、相手を認めながら、それでも自分の意見を前面に押
し出してくる。
浅見さんと堂本さんのふたりがいれば、この騒動の原因は、すぐにでもつきと
められるのではないか、そんな楽観的なことを思わせるほど、二人の意見交換
は気迫に溢れていた。