ボレロ - 第三楽章 -
翌日、社長室でミーティングのあと父から、
「今夜は明けておくように。須藤さんにお会いする……」
そう言われ一気に緊張した。
緊張しながら、昨夜はらしたはずの鬱屈した気分も蘇ってきた。
その日一日落ち着かない時間をすごし、夕方父とともに須藤社長との待ち合わせの場へ向かった。
「お待たせいたしました」
「よろしくお願いいたします」
父親二人は顔をあわせ、ごく簡単な挨拶をしただけである。
二人の間に漂う空気が乾いているように感じられるのは、気まずさからか。
父の隣りに座ったものの、居心地の悪さはこの上ない。
「私から話してもよろしいでしょうか」
「お願いします」
先夜の須藤家では、自分のペースでどんどん進め優勢に振舞っていた父が、今夜はじっと鳴りを潜めている。
この場は須藤社長が取り仕切るらしい。
この流れでいくと、覚悟を決めて聞かなければならない話しになりそうだ。
破談の二文字が頭をかすめ、正座した膝の上で拳をぐっと握りしめた。
「先日、近衛さんはこうおっしゃいました。
折り合いをつけるにはどうしたらよいのか、答えはひとつ……
どちらかが折れるしかありませんね、と……宗一郎君、覚えていますか」
「はい、覚えております」
「近衛さんの言葉を、今度は私の立場から言わせてもらいます。
折れるのではなく、できるほうがやればよいのです。私どもが引けばいい」
この場合の ”引く” とは、どんな意味なのか。
私と珠貴の話はなかったことにして欲しいという意味か、それとも……
答えを断定できず思いをめぐらすが、良い結果を引き出すことにためらいがある私は、どうしても悪い方へと考えてしまう。
最悪の返事を想定して、須藤社長の次の言葉を待った。
「君は私に、子どもの意思は存在しないのかと聞いてきましたね。
あのとき、子どもの自由を守るためだと返事をしました。親とはそういうものだと」
「はい」
「珠貴から、女であることを父親に否定されたと言われた時は、正直堪えました。
それなのに、珠貴が自分を認めて欲しいと言っても、親の気持ちもわからないのかと退けてきました。
妻の言葉を聞くまでは、自分に間違いはないと信じていました。
まさか、私の考えが妻や娘を縛っていたとは……
私がこだわればこだわるほど、娘に辛い思いをさせていたとは思いもしなかった。
それで妻が苦しむとは考えもしなかった」
須藤社長の言葉がじわりと胸に染み込んでくる。
染み込んで広がるほどに、胸が打ち震えてきた。
「私も……ご両親のお気持ちもしらず、大変失礼を申しました」
「君の問いかけがなければ、私はまだ独りよがりな父親だったでしょう。
娘を大事と思う気持ちが、どこでずれてしまったのか……」
そう言うと、須藤社長はゆっくり目を閉じた。
しばらくの沈黙のあとふたたび目を開けて、噛み締めるようにこう言った。
「ずれてしまったのなら元に戻せばいい。
誤りだと気がついたのなら、素直に認めることが大事です。
それができなければ親として失格でしょう」
社会的に重要な立場にあり会社のトップに立ってこられた方が、みずからを振り返り、過ちを認め自己を戒める。
その姿勢に感動すら覚えた。
「先日の君の質問に、まだ答えていませんね」
「答えをいただけるのでしょうか」
何らかの返答があるのかと身構えていると、須藤社長は黙ったままテーブル脇の袋を取り、中から書類を取り出しテーブルに置いた。
伏せられた書類が何であるのか私には見えない。