ボレロ - 第三楽章 -


その日の午後、宗と待ち合わせて 『SUDO』 本社に向かった。

一階ロビーに入ると、あちこちから 「こんにちは」 と親しみのこもった声がかけられる。

宗がここへ姿を見せることが多くなったため、社員も彼の顔を覚えたようだ。

もっとも、昨年マスコミに取りざたされたこともあり、社員のほとんどは私たちのことをすでに知っていた。

結婚してほどなく二人で本社に来た際は 「おめでとうございます」 と、口では祝いを述べながら、興味本位の視線がほとんどだった。 

私が須藤姓から近衛姓になったことも彼らの関心の的であり、今後 『SUDO』 はどうなっていくのか 、近衛に取り込まれてしまうのかと、社員のあいだで不安がささやかれていたこともあり、近衛宗一郎を必要以上に警戒する向きがあった。


彼に向けられた視線が不躾に感じられ、いたたまれない思いもしたが、それはいっときのこと。

宗は不躾な視線を跳ね飛ばすほどの大きな声で 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 と応じ、ロビーにいるに社員に向かって四方八方頭を下げ、屈託のない顔で挨拶をした。

そこに社長である父がロビーに姿を見せて、私たちを笑顔で迎えたことも社員の感情を変化させるものとなった。

それから興味本位の視線はなくなり、むしろ親しみを持って迎えられるようになった。


今日も、一人の元気な男性社員が 「結婚式、楽しみにしています」 と宗に声をかけてきた。



「期待に添えるよう、思いっきり盛大にやるよ」 



彼がそう返事をしたものだから、周囲から、わぁっと歓声があがった。

宗は人の心をつかむ術を知っている。

それは、媚びたものでもなければ、威圧したものでもなく、宗が持つ魅力のひとつと言えるのかもしれない。



「ところで、どうして俺まで呼ばれたんだ? ドレスの生地選びなんて専門外だ」


「お義母さまが ”宗一郎と一緒にきてね” とおっしゃったの。

あなたの意見をお聞きしたいんですって」


「ふぅん……」



披露宴の日取りは未定だったが、婚礼衣装は仕立てておきましょうということになり、これから衣装の打ち合わせに行くことになっていた。

今日は、両家の母と知弘さん静夏ちゃん、それから、静夏ちゃんのウェディングドレスも手がけた、デザイナーの斎賀先生もいらっしゃる予定だと聞いている。

ドレス生地は知弘さんが手配してくれることになっているが、繊維を扱う会社であるからサンプルは膨大な数がそろっている。

数ある中から選び出すため、興味のない宗には退屈な時間に違いない。

宗も当事者であるのだから、一緒に選んだ方が良いとのお義母さまの考えかも知れないが、待つことが決して好きではない彼にとって、時間の無駄と思われはしないか……

そう思っていたのだが、ホワイトのシルク生地についてはある程度候補がしぼられていたため、それほど時間をかけずに決まりそうな気配だった。


「生地は静夏のドレスを選ぶ際、斎賀さんと検討したんだが、これらがいいと思う」


「織りが素晴らしいわね。さすが知弘さんのお見立てね」


「まぁ、綺麗ですこと……珠貴さん、いかが?」



斎賀先生の意見を聞きながら生地に目を通す。 

私の好みは決まっているため、ほとんど迷うことなく一枚を選び出した。



「それなら間違いないね。ホワイトドレスは決まりだな。

次はイブニングドレスとカクテルドレスだ」



広げられた見本に、みなため息とも歓声ともつかぬ声が漏れた。

生地は厳選されているため、色目で決めればいいと言われたものの、私の好みはダークな色合いで、それではブライダルドレスにふさわしくない。

母も私の好みをわかっているため 「明るいお色の方がいいと思うの」 とさりげなく意見してきた。

そうねぇ……と決めかねていると、お義母さまが 「宗さん、どうかしら」 と声をかけた。

驚いたのは私だけでなく、母と知弘さん、斎賀先生もびっくりした顔をなさってる。

けれど、お義母さまと静夏ちゃんは変わらぬお顔で、彼の意見を待っていた。

意見を聞かれた宗は生地を覗き込み、腕を組みしばらく考えていたが、ほどなく数枚のサンプルを選び出した。

「珠貴の肌に合うのは、これだな」 と宗の声に迷いがなく、「うん、いいかも」 と同意した静夏ちゃんも、彼の選んだ色を推している。



「私、あまり着たことのない色だわ……どうかしら」


「珠貴さん、生地を肩にかけてみてください。きっと似合うお色だと思いますよ」



静夏ちゃんに勧められ顔の近くに生地を持ってくると、その場にいた誰もが 「わぁ、良く似合う」 と声にした。

他の色も同様に身にまとったが、そのどれもが私の肌に馴染んでいた。



「こんな色が合うなんて、思ってもみなかったわ」



あなたには、こんな才能もあったの?

驚いたというように宗を見ると、得意そうな顔が私を見ていた。

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