ボレロ - 第三楽章 -

16, brillante ブリランテ (華やかに) 



夕日を受けた船体は紅色をまとい、雅な色合いに染められていた。 

間近で見る客船の大きさもさることながら、その美しさに圧倒される。

期待で胸が膨らむ感覚を久しぶりに味わいながら、客船 『久遠』 に乗船するために歩き出した。


全長は200メートルを超え、威風堂々とした構えではあるが威圧的ではなく、包み込むような優しさがある。

船が女性名詞であるのは、全身を飾り立て、養うのに大変な費用がかかる女性のようだから……と、まことしやかな薀蓄を語ってくれたのは大学の友人だったか、講師だったか。 

記憶はさだかではないが、船が女性であると言われれば、今ならそうだろうと思う。


大きく揺れているわけではないのに、海に浮かぶ微かな揺らぎが体に伝わり懐かしい思いにかられた。

母の体に守られ水に浮いていたその昔を体が覚えているのだろうか、などと、非科学的なことを思ったりするのも、船に乗っている故かもしれない。


「海に浮かぶホテル」 「エンジンとプロペラをつけたホテル」 と、客船をあらわす言葉があるが、まさにその通りで、船内には快適な空間が広がっている。

デッキにでた私たちを待っていたのは、海からの風と雄大な景色だった。

水平線が一直線ではなく曲線を描いているのは、地球の丸さを示しているのだとの船長の言葉に、みな海のかなたへ目を向けた。



「自然を感じますね。いつまでも眺めていたいな、時間を忘れそうだ」


「日常から離れる、それこそ船旅の醍醐味です」


「なるほど、ストレスも軽減されるでしょう。僕も船旅にすればよかったな」



春先にアラスカに行ったが、時間に追われた旅だったと沢渡さんが悔やんでいる。

 

「秋にお披露目をかねた習熟航海をいたします。 

その後、日本近海のコースをへてアジアへ参ります。

いかがでしょう、お待ちしております」


「時間があれば、すぐにでも乗りたいですね」



沢渡さんは船がよほど気に入ったのか、安曇船長に詳細な運行日程を聞き、平岡と櫻井君も興味があるのか、話の輪に加わっている。

「彼らが船旅に出かけられるほどの休暇が取れるのか、怪しいものだね」 と私に耳打ちしたのは潤一郎だ。

君たちこそ長期の休暇は難しいだろうと霧島君が笑っている。

今月の 『アインシュタイン倶楽部』 の集まりは、客船 『久遠』 の見学会込みの会合になっていた。


数日前、珠貴と両家の両親は久我の叔父の案内で船内見学をしたが、私は仕事で参加できずにいた。

その代わりが今日になったのだが、友人たちに 「客船の下見に行くため会に遅れる」 と話したところ 「下見に同行できないだろうか」 と強い関心を示してきた。

久我の叔父に相談すると 「みなさんをぜひ招待したい」 と、こちらも積極的に受け入れる姿勢で、友人たちと一緒の見学会となり、アインシュタイン倶楽部の会合の場も港の近くのホテルに変更されたのだった。



「男性は元来動くものが好きです。 

幼い頃、自動車や電車、飛行機や船に興味があったのではないでしょうか。 

操舵室や機関室に案内すると、みなさんの目の輝きが違います。 

それに引きかえ女性のお客さまは、煌びやかな室内や装飾に目を向けられますね」 



安曇船長は 『久遠』 の初代船長に就任が決まっている方で、今日は船の案内をお願いした。

久我の叔父がもらしたひと言から、客船で披露宴を行ってはどうかと話が持ち上がった。

久我のグループ会社である 『クーガクルーズ』 は 『客船 初音』 で海外クルーズを行っているが、より大きな船へ移行するために新しい船を買い取った。

それがこの 『久遠』 だ。

新造船であるため話題になったものの、所有者が次々に変わり船の持ち主が破産に追い込まれた……

という購入までの背景も取りざたされた。

そんないわくつきの船を久我の叔父は買ったのだ。

購入を決めた久我の経営陣は 「ジンクスなど気にしない」 つわものばかりだったが、世間の目はそれではすまない。

マスコミによって取り上げられた際 「二度あることは三度ある……の言葉もあるように……」 などと引き合いに出されたため、久我の将来を危惧する噂が一人歩きをはじめていた。


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