ボレロ - 第三楽章 -
一昨日は客船の下見、今日は披露宴の打ち合わせと、仕事の合間をぬって忙しい毎日を送っていた。
披露宴は避けられないと覚悟してはいたが、そこに至るまでの準備が、こんなにも面倒なものだとは思わなかった。
「お色直し」 は珠貴だけだと思い込んでいた私も、披露宴に対して認識不足だったが、それにしても披露宴というのは大ごとだ。
面倒事を引き受けてくれた狩野に、ぶつくさと愚痴を言うのは筋違いだとわかっているが、友人の気安さから鬱憤を吐き出していた。
狩野も私の立場をわかっているから、迷惑そうな顔もせずに私の話を辛抱強く聞いてくれているのだが、案外、膝に抱えた娘の相手をしながら、適当に聞き流しているのかもしれない。
「それだけじゃない、決めなきゃならないことが数限りなくある。
親父たちはいない、女だけでは決められないから、俺に決めてくれと母親たちに言われて付き合ったが、いちいち聞かれて答えるだけでも大変だったんだぞ。
だが迷っている暇はない、慣れない決済をしている気分だった。
仕事をしてる方がどれほど楽だったか」
「うんうん、そうだろう。何しろ披露宴まで日にちがないからなぁ、即決が要求される。
家に持ち帰って親父さんたちに相談する時間はない、おまえに聞いたほうが早いだろう。
近衛はよくやったよ。さすが副社長だと、西村さんも感心していたよ」
『榊ホテル東京』 で長年ブライダルに関わってきた西村さんが、私たちの披露宴を担当してくれることになっていた。
西村さんは現在ホテルの経営本部長だが、我が家からの依頼を受け、一時的にホテルの担当を離れ、客船で行われる披露宴の総監督をつとめてくれる。
船のスタッフの指導にもあたるそうで、こちらとしては非常に心強い。
「そうか……西村さんにはなにかと世話になる。よろしく伝えておいてくれ」
「わかった……おぉ、そうだ。このスフレ結構いけるぞ。コーヒーも冷めたな、淹れなおそうか?」
「いや、いい」
不機嫌が直らない私をなだめたいのか、用意された茶菓をざわとらしく勧めてくる。
菓子などでごまかされるかと思ったが、甘いものが嫌いではないだけに勧められて手をのばした。
コンコンコンと音がして、佐保さんが食事の用意ができたと知らせにきた。
「佐保の料理、期待していいぞ」
「楽しみにしてるよ」
「おまえの場合ヤケ酒ができないからな、食って憂さ晴らしだ」
「あら、幸せいっぱいの方に、どんな憂さがあるのかしら? 近衛さんのお口に合うかしら」
「あっ、いえ、結婚式ってのは大変だと思って。佐保さん、今日はありがとうございます」
「いいえ、珠貴さんにお手伝いいただきましたから、こちらこそ助かっていますの」
いつのまにか狩野の膝で寝てしまった娘を受けとりながら、珠貴さんと楽しくお話しましたよと佐保さんが言う。
こっちは私の愚痴で終止したが、キッチンでは女同士の話が弾んだことだろう。
「いままで、クーガクルーズの客船で結婚式がなかったとは意外だったな。
だが、フォーマル着用のパーティーが行われる船だ、スタッフの心得はあるだろう。
一度経験すれば次回につながる。結婚式が増えるかもしれない」
「かもな。 これまでのクルーズは、客のほとんどは年配の夫婦で、若い層の利用は少なかったそうだ」
「新しい客船ですから、新しいことを始めるのはいいことかもしれませんね。
まずはおふたりの披露宴ね。幸先がいいわ」
「えぇ、そうなるといいですね」
肯定しながら、珠貴が上目遣いに私を見て肩をすくめた。
その顔には 「でも問題があるのよね」 との言葉が隠れている。
「だが、難アリの船だともっぱらの噂ですから、なんとかしないことには」
「近衛は気にしてないんじゃなかったのか?」
「俺たちは気にしてないよ。だいたい、あれほどの条件を備えた会場を短期間に探すのは不可能に近い。
披露宴は一ヵ月後、客の数は数百人単位、着席の食事ができて、宿泊もできるところがほかにどこにある」
「ないね」
「噂くらいあって当然ですね。でも、噂は噂でしかなく、ないものに怯える必要はありませんから」
さすが珠貴さんだと、狩野も佐保さんも感心している。
私が言いたかったことを珠貴に全部言われてしまったが、彼女が褒められるのを聞くのも悪くない。