ボレロ - 第三楽章 -
その夜、真夜中近くにかかってきた宗の電話は、今日の専務室の出来事に終始
していた。
堂本さんが詳しく話したのか、私よりも正確にその場のやり取りを把握して
いる。
『香取夫人が去ったあと、開かれたドアの向こうにいた知弘さんの顔が、
なんとも不機嫌そうだったって?』
『そうなの。叔母さまったら、知弘さんに浅見さんはどうかなんて
言い出すんですもの。いい気分はしないはずよ』
『静夏の耳に入ったら大変だな。こんな事も聞いたぞ、
近衛が腹いせに堂本を引き込んだんじゃないかと、
知弘さんが言っていたと。彼が笑ってた』
『知弘さんも、あんな風に言うしかなかったのよ。
ねぇ、堂本さん、本当に笑って言ったの?』
『どうして?』
『だって、彼、私の前では表情を崩さないの。きっと、私が苦手なのね』
『そんなことはないと思うが……珠貴さんは聡明な方ですねと、
俺には言っていた。君が褒められるのが嬉しくて、顔が緩んだよ』
『そうなの?』
私を評した言葉が嬉しいと言う宗の声を聞いて、胸の奥で甘い感覚が音を
立て、どうしようもない思いがこみ上げてきた。
『宗……会いたいわ。あなたに会いたいの』
叶わぬことを言ったあと、後悔が押し寄せてきた。
『ごめんなさい。言ってもどうにもならないのに……』
『会えるよ、会う機会はいくらだってある。そうだな、
近いところで来週の水曜日、斎賀さんの新社屋のお披露目がある。
君も顔を出すんだろう? どこかですれ違うはずだ』
『えぇ、でも、私ひとりでないの。あなたに話しかけるのは無理よ。
それに堂本さんからお聞きになったでしょう?
あなたは気をつけなくては』
『気をつけるとはいっても、身の危険にさらされるわけじゃない』
『でも……』
『来週が無理なら、翌週の見本市もある……
君を見つけたらニアミスですますものか。必ずつかまえる』
宗の力強い声は、私に大きな希望をもたらした。
きっと会える、そう信じて待つことにした。
ところが……
翌週の斎賀さんのパーティーで、 翌々週の見本市も、その次の機会も、私は
宗と会うことはできなかった。
すれ違うことさえ阻まれるように、ニアミスどころか、姿を見ることもなかっ
たのだった。
『ひとつなら偶然だとも考えられますが、ふたつ、みっつと重なった
事実を考え合わせると、それは必然だといえるでしょう』
堂本さんの言葉がふいに思い出された。