ボレロ - 第三楽章 -
「ねぇ、珠貴」
「はい?」
「私、このお席にお邪魔しても良かったのかしら」
「いいに決まってるじゃない、何を気にしてるの?」
「だって、みなさん、あちらのお席にパートナーがいらっしゃる方ばかりなのに……
やっぱり遠慮するわ」
立ち上がろうとした結歌を、私と紫子さんで引きとめた。
ほかのみなさんからも 「このままどうぞ」 と声がかかり、美那子さんは結歌へ質問をはじめた。
「男性の方に一番人気の結歌さんのお話を、みなさんお聞きしたいの。
話してくださるわね」
「えっ、あはは……私が一番驚いているんですよ。
どうしちゃったのかしら、モテキがきたのかな?」
「そうよ それで 向こうのテーブルの誰が本命かしら?」
「えっ?」
「とぼけてもダメ。結歌さんがあちらのテーブルを気にしてるのを、みなさんご存知なのよ」
「そうよ、私にも隠すつもり?」
アインシュタイン倶楽部のメンバーがそろった席にいるある男性を、結歌が見つめていたことは、私も気がついていた。
「あの……まさかここでお会いするとは思わなかったの、10年ぶりだったから。
昔ね、ちょっとステキだなぁと思ったの。でもね、違うのよ。そんなんじゃないの」
「何が違うの?」
「だって、結婚してらっしゃるから……もういいの。あーっ、恥ずかしい」
大柄な体を折り曲げ顔を覆ってしまった結歌は、どこから見ても恋する女性だ。
彼女がそれほど憧れていた男性がいたとは今の今まで知らず、親友として面目ない。
何とか結歌の想いをかなえてあげたいと思うものの、相手の男性が既婚者ではどうにもならず、それは、ここにいるみなさんも同じで 「そうだったの……結婚していらっしゃるのでは困ったわね……」 と、気の毒な顔になっている。
そこへ、当の男性が近づいてきたものだから、私たちの席は一気に緊張が増した。
「結歌ちゃん」 と呼びかけた男性は、私たちへも丁寧な挨拶をした。
「お、お久しぶりです。井坂さん、お元気でしたか」
「本当に久しぶりだね。父の代理で出席したんだが、まさか、君に会えるとは思わなかった。
結歌ちゃんの活躍は聞いてるよ。昨日の歌も素晴らしかった」
「ありがとうございます」
そう褒められて、結歌は顔を赤らめ下を向いていたが、あっ、と思い出したように声を上げた。
「あっ 奥様もご一緒でしょう? 昔の教え子として ご挨拶させていただきたいわ」
「その必要はないよ……いま独身だからね」
「えっ……」
「少し彼女をお借りしてもいいですか」
私がうなずくと、井坂さんはためらう結歌を促し、抱えるように連れて行った。
その様子をみなじっと見ていたが……
二人の背中が見えなくなると、テーブルは一気に賑やかになった。
「感激の再会よ! ドキドキしちゃった。
あぁ、私も克ちゃんと再会した時を思い出しちゃった」
「独身だと聞いたときの結歌さんのお顔、可愛らしかったわ。
井坂さんとおっしゃいましたわね、どちらの方?」
佐保さんに聞かれたが、私も紫子さんも井坂さんと面識はなく、二人で顔を横に振った。
「爽やかな方でしたね」 とは蒔絵さんの感想で、「落ち着いた方でしたね」 と言ったのは真琴さん。
それなりの立場にある人物ではないかと、彼女らしい見方だった。
宗に聞けば井坂さんについて何かわかるだろうと思い立ち上がったのだが、同じくして、宗の隣りに座っている京極虎太郎君が立ち上がり、いましがた結歌と井坂さんが立ち去った方へ走って行った。
美那子さんが 「ちょっと、面白いことになってきたじゃない」 と言い、誰もが同じ思いを胸に抱いていた。
昼食の席は結歌の恋の行方が話題の中心になり、楽しい時間が過ぎていった。