ボレロ - 第三楽章 -

後奏曲, elegante エレガンテ (優雅に) 



広げられた地図をたどる指先を4人の視線が追う。

『客船 初音』 の寄港地はアジアの都市で、オプショナルツアーを申し込めば、より充実した観光ができるとの久我の叔父の説明に、平岡と蒔絵さんは 「私たちは遠慮します」 と口をそろえた。 

遺跡や博物館は見ごたえがある、この機会に見ておいたほうがいいのではないか、せっかく訪れるのにもったいないと勧めるが 「仕事がありますので」 と首を縦に振らない。

船旅の三週間、彼らは仕事に徹するつもりでいるようだ。

私と珠貴にとってはプライベートの旅でも、平岡と蒔絵さんは出張の名目で旅に同行する。 

それはわかっているが、24時間仕事ばかりではない、ともに楽しむ時間も必要だろうし、そうしてほしいと思う。

観光の魅力にもなびかないのなら、こちらの権利と義務を表に出すしかないようだ。



「もちろん仕事もしてもらうが、雇用側の立場としては君たちに休暇を与えなければならない。 

労働基準法の遵守は……」


「休暇は、帰国後まとめていただきます」



平岡の声に蒔絵さんも大きくうなずき、どこまでも 「仕事」 を前面に押し出してくる。

それではこちらも旅行を楽しめないと言ってみたが、 



「僕らのことは気にせず、楽しんでください」 



にべもなく断ってきた。

さらに、パーティーなどの席も遠慮いたしますと、一事が万事この調子だ。


『久遠』 で行われた披露宴の翌々日、近衛本社の副社長室のミーティングルームに、6人が顔をそろえていた。

新婚旅行という、ごくプライベートな打ち合わせを、ここで行うことに抵抗がなくもなかったが、平岡にとってはこれも仕事の一環であり、社長である父が顔を出すにも都合が良い。

実際のところ、業務後に別枠で打ち合わせの時間を設けるのは、とてもではないが無理な状況だ。

そこで、珠貴と蒔絵さん、久我の叔父にここまで足を運んでもらった。


久我の叔父も二人のかたくなな姿勢に 「秘書の鑑だな」 と苦笑いしている。

それまで黙って成り行きを見守っていた父が、なおも彼らを説得しようとする私を押し留めた。



「君たちの仕事熱心はわかった。では、この書類にサインを頼む」


「精一杯仕事に励みます」



いつになく頑固な顔の平岡が慇懃に頭を下げる様子を見ながら、まったくどこまで頑固なんだ……

とぼやく私の横で、珠貴もため息をついていた。

突如持ち上がった新婚旅行のプランは三週間だったが、二週間以上の日程は無理だと言う平岡を説き伏せたのは父で、平岡たちを同行させることで、仕事をこなしながらではあるが新婚旅行の出発が決まった。

当初は身に余る旅であると躊躇していた珠貴も、蒔絵さんが一緒なら心強いし楽しみだと言っていた。

それは私も同様で、こう言ってはなんだが、船旅は年配の客が多いため、なにかと気の張る旅になる。

同世代の平岡たちが一緒であるのは、気持ちの上でとても楽になると思っていたのが、二人を頼りにはできないのでは、旅の楽しみも半減する。
 

クルーズに関する書類にサインをする平岡と蒔絵さんへ、父が何気なくといった様子で話しかけ 「書きながら聞いてほしい」 と前置すると、平岡君の仕事だが……と言い出した。



「秘書としての業務のほかに、頼みたい仕事がある。聞いてもらえるだろうか」


「私たちにできることでしたら、なんでもお申し付けください」



平岡は、ペンを走らせながら父へ言葉を返した。



「それはありがたい。

新婚旅行だから、できるなら仕事を絡めた会食は受けさせたくなかったが、先方にどうしてもと言われてね。

インドネシアの取引先が、宗一郎と珠貴さんを食事に招待したいそうだ。 

名目は結婚祝いだが、相手方の思惑はそれだけではないのは明らかだ。

そこで、平岡君にも同席してもらいたい。

先方の意図を探って、今後の交渉に役立てたいのだが」



父の声に、平岡のペンが止まった。

あの……と言いかけた平岡の声を 「まぁ、聞いてくれ」 と父が社長の顔で遮った。



「食事の席はパートナー同伴が基本だ。

そこで、蒔絵さんにも同席してもらいたい。

それから、寄港地で下船する際も、宗一郎たちに付き添ってもらえないだろうか。

二人がアジアクルーズに出かけることは、現地法人を通じて方々に知れ渡っている。

寄港に合わせ、宗一郎たちに接触があることも考えられる。その対処も君に頼みたい。

業務を逸脱しているのは重々承知の上だが、そこを曲げて頼みたい。どうだろうか」


「そうですね、そういった事態は充分に考えられます。 

副社長が出向かれる先には、私も同行した方がよろしいかと……承知いたしました」



納得した顔の平岡に笑みを向け、父の話がさらに続く。


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