ボレロ - 第三楽章 -
【カノン】 ー 潤一郎と紫子の物語 ー
近衛紫子の華麗なる日常
良家の子女がそうであるように、結婚前の紫子の日常も稽古事で埋まっていた。
華道茶道はもとより、フランス料理、日本料理、それに大学から始めた古楽器。
そして、祖母につきあって和歌と香道も嗜んでいる。
その間にスポーツクラブで汗を流し、エステに行って肌を整える。
語学は小さい頃から身につけていたため、英語、フランス語は日常会話には不自由しない。
そして最近、オペラの歌詞を理解するためにイタリア語を始めた。
元来真面目で負けず嫌いの性格の紫子は、学生時代は勉強とともに稽古事もこなした。
大学を卒業して結婚するまでの一年間は気ままに過ごすつもりでいたが、茶道の師匠から、
「ゆかちゃん、学校茶道の助手なんだけど、あなた手伝ってくださらない?」
卒業を待っていたような申し出に、断る理由もなく師匠の申し出を受けた。
学校茶道とは週一回のクラブ活動で、一度に何人もの生徒を教えるので助手は不可欠だった。
しかし、学校の時間内に行われるため、助手を頼まれるのは時間が自由になる人物に限られる。
その点、紫子は時間に余裕があり、準師範の免状を持っていた。
準師範の免状があれば、初心者クラスは師匠がいなくても代理で教えられる。
そのことも紫子を指名した理由の一つだったのだろう。
学校で教えるのは楽しかった。
生徒達も師匠より年の近い紫子に親しげに接する。
「ゆか先生、この蓋はどこにおくの?」
などど、友達のように話しかける子もいた。
去年より男子生徒の入部が多かったのも、若い助手の紫子が目当てだったらしい。
潤一郎の仕事は相変わらず忙しかったが、式の打ち合わせには協力的だった。
「結婚式を挙げるのが、こんなに面倒だとは思わなかったよ」
打ち合わせだけで、心底疲れたという顔をしている。
「男の人はそうね。潤一郎さんのご希望は? 教えてくださったら、あとはおばさまと相談しながら進めていくわ」
招待者を決めるのは仕方ないとして、式の手順、披露宴の内容、料理、引き出物……
両家の母親と紫子は、本当に楽しそうに打ち合わせに参加していた。
「お衣装、どうしましょう。悩むわね……」
紫子の母親が感慨深げに口にする。
女達にとって、これが最大の問題であり、最大の楽しみでもある。
一回目の長い打ち合わせの後、ようやくホテルの一室に落ち着いた。
「ゆかなら、何を着ても似合うよ」
ふふ……そお? といいながらも、実に嬉しそうな顔をしている。
紫子のこんな顔を見るのも悪くないと思うが、デートの時間が打ち合わせにとられるのは潤一郎には不満だった。
その気持ちが態度にあらわれたのか、ブラウスのボタンを外すのさえもどかしい。
潤一郎の性急な動作に紫子が不満を並べた。
「こんなのはイヤ、優しくない」
ここで紫子の機嫌を損なうわけにはいかない。
心の中でため息をついた潤一郎は、機嫌をとるように紫子の首筋に唇を這わせた。
「学校のクラブって、男子生徒もいるの?」
潤一郎の腕の中で、物憂げな顔の紫子が首をもたげた。
「気になるの? ふふ……かわいい子がいるわよ。ゆか先生って、初々しい顔で呼んでくれるの。
あの頃の男の子って、結構純情なのよ」
「その純情が危ないんだ。気をつけてくれよ」
「やだ、潤一郎さんったら、本当に妬いてるの?」
あはは……と紫子が笑って体を揺らす。
男を侮るとひどい目に遭うぞと、後ろから羽交い締めにした。
腕の中で、まだ笑いが止まらない紫子の肌が上気していく。
桜色に染まった肌に刺激されて、潤一郎はまた気持ちが高ぶってきた。