ボレロ - 第三楽章 -

木立の中で



夏の日の、木々から零れる日差しの中で見る君の透き通る白い肌は、いつにもまして眩しくて、目を背けたくなるほど魅惑的だった。

肩からのびた腕、更に続く指は僕の手を無造作に握っている。

時折触れる君の胸元は必要以上に僕の意識を刺激した。

湧き上がる感情を抑えられず、君の襟足に唇をおいた。

薄っすらと汗をかいた肌が、余計に僕の感情を焚き付ける、

彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに不服そうな表情を浮かべた。



「……潤一郎さん、私をいつまでも子ども扱いするのね」


「子どもだよ。高校生は勉強が本分だ」


「もぉ、建前ばっかり。自分だって学生なのに……いつになったら大人に見てくれるの?」


「そうだなぁ……18歳かな。18歳になったら、大人の女性だって認めるよ」


「わかったわ。絶対忘れないでね」



あれから二年、君の少女の顔はすっかり消えた。

 

「ゆか、本当に泊まるつもり?」


「えぇ、近衛のおじい様の別荘にお邪魔すること、両親にもちゃんと伝えてきたわ」


「おじい様は、今夜いないってことも?」


「そんなこと言わない、言う必要もないもの……」


「困ったヤツだ」


「だって約束だったでしょう、18歳の誕生日は過ぎたわ」


「約束……覚えてるよ。ゆかは大胆だな」



夕暮れに照らされた胸元は大人の色に染まっていた。

うしろからゆっくり抱きしめると、紫子の肩がビクンと震えた。



「引き返すならいまだよ」


「イヤ、充分過ぎるほど待ったんだもん。もう待つのはイヤ」


「はは……それは男の台詞だね」


「そうなの? 潤一郎さんも待ってたの?」


「あぁ……」



うなじに唇をあてると、紫子の体は一瞬にして緊張を見せた。

生意気な口とは裏腹に、紫子の全身はバリアーで覆われたのかと思うほどシールドが張られている。



「どうする? やめるか?」



すでに赤味を帯びた首筋が大きく横に振られた。

小さい頃からよく遊びに来ていた近衛家の別荘は、紫子には馴染んだ場所だ。

二階には大きなテラスがあり、絵を描くのが趣味だった祖父が、そこでよくキャンパスを広げていた。

ふたりで飽きずに絵を覗き込み、祖父の邪魔をしたものだ。 

首筋に僕の息を感じているのだろう、紫子は体の強張りをはずそうとしている。

紫子と部屋を走り回っては、お手伝いの吉田さんにたしなめられた。

今まで忘れていた記憶が蘇ってきた。

この部屋はお客様用のお部屋ですからねと再三言われていたのに、ダメだと聞くと入りたくなるもので、こっそり忍び込んでは広いベッドの上で飛び跳ねて無邪気に喜ぶ紫子は、あの頃からあまり変わっていない。

初めて聞く紫子の切なげな吐息を感じながら、幼い頃の顔を重ねていた。



「こっちに来て」



紫子の手をとり二階への階段をのぼる。

古いがしっかりとした造りの階段は、二人が足を踏み入れても軋む音もしない。

カツンカツンと靴音だけが響く。

廊下を曲がり、この別荘で一番眺めの良い部屋と言われる客間のドアを開けると、昔と同じ光景が二人の目に飛び込んできた。

二間続きのゲストルームは、手前はソファが置かれたリビング、奥の部屋が寝室になっている。 



「わぁ、懐かしい。ここでよく遊んだわね」


「ベッドで飛び跳ねて、叱られたのは誰だぁ?」


「潤一郎さんったら、逃げるのが早いんだもん。怒られるのはいつも私だったわね」


「ゆかに逃げろって言っても、ずっと遊んでたじゃないか」


「だって、本当に楽しくて……このベッド、小さい頃も思ったけど、やっぱり大きいわね」


「キングサイズのダブルだからね。外国のお客様にも不自由をかけないようにと、大きいものにしたらしい」


「キャッ」



紫子を抱きかかえると、僕はゆっくり歩き出した。

驚いた紫子は、とっさに僕の首に手を回してすがった。



「姫をこうして抱き上げてベッドに運ぶんだって、昔読んだ本に書いてあった」


「あっ、歩けるからいいわ。それに私、お姫様じゃないもん」


「姫だよ。いつか僕と結婚するんだろう?」


「そうだけど……じゃぁ、潤一郎さんは王子様? ふふっ……」 


「笑うなよ。気分を盛り上げないと恥ずかしくて、ゆかを落としそうだ」


「やだ、落とさないでね。私、重いでしょう?」


「いや、そんなことないよ」



僕の手は繋ぐだけだと思っているのだろう。

抱きかかえることだって、慈しむことだってできる。

僕の手が君の肌に触れるのを、どれほど待ち焦がれていたか知っているだろうか。

放たれた窓から聞こえる木々の葉音が、幼い頃と変わらぬ音だと懐かしみながら、僕は胸の奥の鼓動を木立のざわめきと重ね合わせた。

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