ボレロ - 第三楽章 -
近づいた大貫は、「ようこそ」 と語りかけ、妻の顔で挨拶をした紫子へ 「ゆっくりしてください」 と気さくな挨拶があった。
「大奥さまからお電話をいただきました。私らまで気にかけてくださって、恐縮です」
「みなさん、お元気ですか」
「おかげさまで」
大奥さまとは、近衛の大叔母ではないかと紫子は気がついた。
近衛の亡くなった大叔父の夫人である。
「大叔母さま?」
「うん、大貫さんを紹介してくれたのは大叔母さまだよ」
驚いていると、大貫はさらにびっくりすることを言い出した。
「お部屋の準備は出来ております。足りないものがあれば、すぐに用意します。遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとうございます。管理もお願いして、なにからなにまでお世話になります。天候はどうですか、それだけが気がかりですが」
「お知らせしたように、絶好のオーロラ日和になりそうですよ。月のない夜は……」
大貫の話を聞きながら、紫子は潤一郎の言葉を整理した。
管理を頼んでいるということは、部屋は個人所有ということで、近衛家が所有する家が、こんなところにもあったのか。
まさか……借り上げに違いない、それを大貫に管理してもらっているのだろうと、紫子は自分なりに結論を出した。
「お部屋を借りたの?」
「うん、大叔母さまに借りた」
「えっ? 大叔母さまのお部屋?」
「正確には、大叔母さまの家だよ。別荘だね。あれ、言ってなかった?」
「えぇ……」
「先週まで籐矢が使っていたから、部屋は綺麗だろう。水穂さんは掃除魔だからね。
それより、見られそうだよ。絶好のオーロラ日和らしい。
部屋についたら仮眠をして、明日の昼は土地を案内してもらう。夜は着込んで小屋で待機だ」
伝えられたスケジュールを確認して頭に入れようとするが、紫子の頭がそれらを整理できずにいる。
フィンランドに大叔母さまの別荘? 籐矢さんが滞在していたですって?
すべてが初耳だったが、潤一郎は 「言ってなかった?」 とさほど気にした様子はない。
どうして教えてくれなかったの? と口にしたのは、大貫とともに目的地につき荷物を部屋に運んだあとのこと。
二人だけになり、紫子は抱えていた疑問を潤一郎に投げかけた。
「この時期に日本にいたら、聞きたくないことまで聞こえてくるだろう。宗と僕は違うのだと言っても通用しない。
今まではなんとかかわしてきたが、珠貴さんの妊娠が分かってから、僕らのことをとやかく言ううるさい連中が増えた。
だが、それも北の果てまでは聞こえてこない」
「そうね……ここまでは聞こえてこないわね……でも、どうしてフィンランドだったの?
海外ならどこでも良かったのに」
「ゆか、オーロラを見てみたいと言ってただろう。いつか連れてこようと思ってたんだ」
「そんなこと言った?」
「言ったよ。ゆかが高校に入学した頃だったかな、オーロラが登場する小説を読んで、いつか見に行きたい、一緒に行こうと僕に言ったよ。
わかった、いつか連れて行くと返事をしたのに、ずいぶん長く待たせたね」
「潤一郎さん……」
遠く十代の頃の紫子の夢を、潤一郎は覚えていた。
夢を叶えるためと、周囲の心無い雑音から紫子を守るため、日本を遠く離れた北の地へ行こうと誘ったのだった。
外は雪と氷の世界が広がり凍える寒さだったが、紫子は潤一郎の胸に抱かれ心も体も温まっていた。