ボレロ - 第三楽章 -
大学時代、それなりの数の女子学生がいたにもかかわらず、私の周りはいつも男ばかりだった。
遠くから視線を感じることはあっても、直接声をかけてくる女の子はほとんどいなかった。
私の愛想のなさが彼女たちを遠ざけ、近寄りがたい雰囲気が声をかけにくくしているのかもしれない、そんな風に思っていた。
「近衛潤一郎には可愛い婚約者がいて、卒業後に結婚も決まっている。誘っても無駄だ」
友人の誰かが、こんなことを言いふらしていたことが、彼女たちに敬遠される原因だったと、のちにわかった。
近衛の婚約者の父親は警察庁の幹部だから、潤一郎を誘惑して婚約破棄なんてことになったらただでは済まない、それでも潤一郎に近づくつもりなら覚悟しておけ。
などと、まことしやかにささやかれていたらしい。
結局は、友人たちが彼女たちの目を自分たちに向けるために流した噂だった。
婚約者がいることも、卒業後すぐにではないが結婚が決まっていることも事実であり、正直なところ女の子とのトラブルは避けたかった。
大学入学当初、積極的に接近してきた子がいて迷惑したことがあり、それらを繰り返さないためにも友人が流した噂は好都合だった。
そんな中、噂をまったく気にしない子がいた。
森凛 (もりりん) だけは、なんのわだかまりもなく私に話しかけてきた。
「近衛君、婚約者がいるそうね。彼女のお家は警察関係と聞いたけど、なにかの時に心強いわね」
と、いった具合で、噂の受け取り方もストレートだった。
「婚約しているから、ほかの女の子と話しちゃいけないなんてこと、ないでしょう?
もし、近衛君を好きになったら、婚約者がいても、恋人がいても関係ない、気持ちをぶつければいいのよ。
決めるのは近衛君だもの。それで婚約破棄になったとしても、彼女とはそれだけの関係だったのよ」
言いたいことは堂々と遠慮なく口にする、そこに男女の区別はない。
疑問に思ったら納得のいくまで相手に確かめる、「ごめんなさい、すみません」 は、簡単に口にしない。
森凛の考え方は、ストレートでわかりやすく現実的だった。
彼女が帰国子女であったことも、ストレートな物言いや現実的な思考を形成する一因だったのだろう。
同級生はみな、彼女を 「モリリン」 と呼んでいた。
呼びやすさもあり、親しみを込めて呼んでいたが、私は 「凛さん」 と呼んだ。
森姓がほかにもいたことと、気安く 「モリリン」 と言えなかったためである。
大事な名前を、ニックネームのようにくだけて呼ぶことに抵抗があり、彼女にも失礼だと思った。
ある日、彼女が、潤と呼んでもいいかと聞いてきた。
「近衛君でもいいけど、お兄さんと間違えそうだもの。潤一郎さん、は彼女だけ……
潤一郎、はほかの男子と同じだからイヤなの。だから、私は潤にする」
いいかと聞いておきながら、「潤にする」 と決めている森凛を面白いと思った。
「潤」 と呼ぶのは、兄と妹だけ、ほかにはいない。
森凛に 「潤」 と呼ばれることに少々ためらいはあったが、彼女が紫子を認める発言をしたこともあり、提案を受け入れた。
少し前、紫子と連れ立って歩いているとき、森凛と遭遇した。
彼女に紫子を紹介すると、同級生です、それ以上でもそれ以下でもないのよと、森凛らしい言い方で自己紹介をした。
紫子が 「潤一郎さん」 と呼ぶのを聞いて、だから 「潤一郎さん」 は避けたらしい。
「じゃぁ、僕も凛にする。いい?」
「それ、すごくいい」
その日から、僕と森凛の距離は少しずつ近づいていった。
バイオリンか勉強か、迷ったけれど大学でもっと勉強したい、比較文化論に興味がある、日本のことももっと知りたいから……
そんな理由でバイオリンは趣味にとどめ、日本の大学に進学した凛は勉強熱心な学生だった。
持ち前の負けず嫌いと、たゆまぬ努力で、優秀な成績を維持し続けた。
わからないことはとことん突き詰める性格であるから、苦手なレポートがあると 「教えて」 と粘り、何度もつき合わされた。
勉強熱心であるため、教授陣にも可愛がられ、研究室の資料を自由に使っても良いと言う教授も、ひとり、ふたりではなかった。
与えられた特権を有意義に使い、研究室に朝までこもってレポートを仕上げることもたびたびあった。
徹夜明けの朝は、大学近くのパン屋で調達したパンをもって、公園に出かけてベンチに並んでに食べた。
卒業後の進路も一緒とは思わなかった。
比較文化論の最先端は防衛庁である、凛が外務省を希望したことは、それこそ意外だった。
研修や配属先まで同じ部署で、私と凛は同級生が同僚になっても変わらぬ付き合いが続いた。
部屋にこもって仕事を仕上げるのも学生の頃と同じ、徹夜の仕事を仕上げたあと、近くの公園で朝食をとる習慣も変わりない。
首に手をまわすのも、抱きつくのも、外国育ちの凛には普通のことでスキンシップが過剰であるだけ。
そう思っていたのだが……