ボレロ - 第三楽章 -
日も傾き日没近くになったころ、庭から紫子を呼ぶ声がした。
居間から外に出て、声に導かれて茶室につづく脇の小道を抜け、家の奥へ進む。
潤一郎は夫婦の寝室の前庭にいた。
こんなことなら庭に出ず、居間から寝室へ行って、そこから顔を出せばよかったと思っていた紫子の目の前に、小石に囲まれた木々があらわれた。
どの木も赤い実をつけており、枝には金銀のリボンが結ばれ、よく見ると小さなライトが備わっている。
紫子の願いが形になっていた。
ありがとうと伝えたいのに、胸がいっぱいで思うように声が出ない。
「点灯式だ。ここを押して」
潤一郎に渡されたスイッチを、紫子は震える指で押した。
ふんわりと灯る明かりが、赤い実の木々を優しく彩っている。
そこだけ洋風の風情なのに、ちゃんと和の庭にとけこんでいた。
「モミの木を植えようと思ったけれど、この庭には不似合いな気がしてね。
北園親方に相談したら、こうなった。すごいだろう」
「ステキ……ありがとう」
木々の植え込みを自分の手柄のように自慢する潤一郎へ、やっと礼を伝えた。
洋風の庭造りを得意とする北園は、昨夜の夜会に飾られたモミの木のツリーや客を迎えるホール入り口を飾る大きな寄せ植えも手掛けており、その腕前は紫子も良く知っている。
「北園さん、こんなに素敵にしてくださって、ありがとうございます」
日に焼けて顔に深いしわを刻む造園家は、照れた顔でお辞儀をした。
「玄関の寄せ植えも作りましたんで、あとでごらんください。気に入っていただけるとよろしいのですが」
すぐに見てまいりますと、言うが早いか、紫子は小走りで玄関へ向かった。
薔薇と松を植えこんだ一鉢は、無駄のない日本家屋の玄関の差し色になっている。
リースもリボンもないのに、どこかクリスマスを思わせる技は見事だった。
「親方は、あんな顔で、こんな可愛い寄せ植えを造るんだからね」
「あんな顔でって、失礼よ。北園さんは?」
「ゆかによろしくと言って、裏庭から帰ったよ」
「まぁ、お茶も差し上げずに」
「また明後日来るそうだ。この寄せ植えを、今度は正月風に変えるらしい」
「門松みたいな?」
「どんなふうになるのか楽しみだね」
玄関の飾りを北園に依頼したのは潤一郎だろうが、知らぬふりの顔である。
足元でじゃれる子猫たちを抱き上げて、頬ずりをする仕草がわざとらしい。
紫子のための手配なのに、潤一郎はそうとは言わない。
そんなところが愛おしいと紫子は思うのだった。
いつもは早々に閉める寝室の障子を、その夜は明かりを落とすまで開けたままにして庭を眺めた。
「ありがとう。いままでで、一番嬉しいクリスマスプレゼントよ」
「それはよかった。ツリーの方がいいと言われたらどうしようかと思った」
本当か冗談かわからない顔で、潤一郎はそんなことを言う。
「私だけのお庭をいただいたみたい」
「そうだよ。これはゆかの庭だ」
ありがとう、とまた口にした紫子は、潤一郎の頬へ唇を寄せた。
そのキスがふたりだけの時間のはじまりだった。
紫子の腰を抱いた潤一郎の手に力が入る。
「このまま開けておく? ベッドの中からも庭が見えるよ」
「赤い実に見られるのは恥ずかしいから、閉めて……」
紫子を抱きながら、潤一郎は後ろ手で障子を閉めた。
明かりが消えた部屋にひそやかな吐息がただよう。
障子に庭の灯りがほのかに映っていた。