ボレロ - 第三楽章 -


作品製作の途中だったのか、隣りの部屋のテーブルに大きな布が広げられて

いた。
 
並んだ道具類に目を向けていると 独身最後の作品なの……と静夏の目が布を

いとおしそうに見つめた。

 

「作品作りは無理かなと思ってたけど、考えたら今が一番体の自由が利くの。

先生がコンクールに出してみなさいとおっしゃってくださったのよ。 

子どもが生まれたら針なんて持っていられないでしょう? 

出産までに仕上げるつもり。 だからこれは、独身最後の作品」



ギャラリーで出会ったテキスタイル作家の作品に感銘を受け、自ら作家へコン

タクトをとり赴き、ぜひ師事したいと申し出た静夏に、両親も私と潤もその

当時かなり驚いたものだ。

何も海外に行かなくてもいいではないか、国内でも勉強できるのではと、当初

静夏の留学をしぶっていた父も、娘の熱意に負け欧州に送り出したのが数年前

だった。

静夏が欧州に行きたいと願ったのはテキスタイルの勉強だけではなく、他にも

理由があったのだがそれを知るのは私だけだ。

潤は勘付いていたようだが、黙って静夏を見守ってきた。

もっとも、大事な娘が好きな男を追いかけて海外に行ったなどと両親が知った

ら、卒倒ものだったと思うのだが……

残念ながら静夏の想いは相手に受け入れられず、傷心を抱えることになっ

たが、その後、欧州を拠点に仕事をしていた知弘さんと出会ったのだから、

静夏が海外へ飛び出したのも、自分の将来をつかむためのステップだったの

かもしれない 。



「あのとき、おとうさまの言葉に従って日本に残っていたら、

どうなってたかしらと時々思うのよ。

今みたいな自由は許されなかったでしょうね。

どこにいても、近衛の家の娘のレッテルがついてくるんですもの。 

時期が来たら、どなたか男性をを紹介されて……

流れに逆らえずにもがいていたかも。

私は自分で将来を決めたいと願っても、簡単にお断りできないでしょうね。

でも、決められた結婚はイヤだったの。
 
あっ、潤とゆかさんは別よ。羨ましいくらい仲がいいんですもの。

本当にそう思ってるのよ」



祖父が決めた婚約者と結婚した兄をしきりに気遣い、気にするなという

潤に、それでも気まずそうな 顔をしている。

静夏の気持ちを和らげようと、私はかねてから思っていたことを口にした。



「しかし、収まるところに収まるもんだな」


「収まる?」


「知弘さんにそのつもりはなかったはずだが、専務に就任して、

いずれは社長を引き継ぐ立場になった。

『SUDO』 の社長の妻として、静夏は合格点じゃないか」


「そんなことないわ。まだなにも経験してないのよ。

覚悟を決めたといっても心配ばかりよ」


「『SUDO』 は、繊維業界でも広く事業を展開している会社だ。 

とはいえ、一般的に事業内容が知られているとはいい難い。

だが、おまえが学んで身につけたテキスタイルの知識は、

SUDOの事業につながりの深い分野だ。 

織物や布地、糸については、専門家といっていいほど詳しいだろう」


「えぇ、そうね。素材を知らなければ作品にできませんから」 


「デザインだって勉強している。いまのままでも充分知弘さんを補佐できる。

身につけた知識が役に立つはずだ」


「そうだよ、宗のいうとおりだ。静夏にとっても知弘さんにとっても、

これは最高の結びつきなんじゃないのか」


「ふたりとも……そんな嬉しいこと言わないでよ……」



静夏の声が、またしんみりとして、今度こそ目が潤み始めた。

自分で切り開らき未来をつかんだ妹が、決められた道を歩いてきた私と潤には

眩しく見えた。 




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



テキスタイル ・・・織る、編むの織物や布地のことで、繊維製品全般の

           意味でもあります。

           テキスタイル作家である静夏が作っているのは、

           布や繊維を使った芸術性のある

           手芸作品で、大作になると縦横数メートルにもなる

           大きな壁掛けのものもあります。 

< 38 / 349 >

この作品をシェア

pagetop