ボレロ - 第三楽章 -
佐山さんに見送られ、私と潤一郎は平岡が待つホテルへと向かった。
平岡に連絡すると 狩野が視察でスイスに来ており、同じホテルに滞在して
いると驚く報告があった。
こんな偶然もあるのかと、親友との海外での再会を楽しみに道を急いだ。
ところが、偶然はそれだけではなかった。
もうひとり見知った顔が、ホテルのロビーで私たちを出迎えてくれたの
だった。
「おまえがホテルをあけるなんて、今まであったか?
ホテル家業はまとまった休みがとれない宿命だと言って、
新婚旅行も行ってないだろう」
「行ったさ。結婚式のあと、那須に二泊した。新婚旅行には違いない」
「二泊ですか。二週間も旅行するなんて、狩野さんに申し訳ないな」
「副院長の沢渡さんは、休みがほとんどないと聞いていますよ。
こんなときくらい、ゆっくりすればいいじゃないですか。
でも、美那子さんも忙しい人なのに、よく休めましたね」
「ははっ、自分の旅行ですからね。あの人は俄然張り切りますよ。
仕事を前倒しして旅行に備えたみたいです。
こちらで会いたい友人もいるらしくて、今日は夫婦別行動です」
沢渡夫妻がヨーロッパ旅行中だと思い出した狩野が、自分も視察できて
いると連絡したところ、日程が合えば会いませんか話がまとまり、狩野が
宿泊するホテルに沢渡さんがやってきた。
そして、我々と出会ったというわけだった。
異臭事件で知り合った沢渡さんとは、事件の対処において協力協定を結び、
密に情報交換をしたこともあり親交を深めてきた。
私たちを通じて知り合った沢渡さんの妻の美那子さんと珠貴も、親しい
付き合いが続いている。
今年の春結婚した二人だが、互いの忙しさから新婚旅行を秋に延ばして
いた。
美那子さんはフランス国境近くの街に住む友人を訪ねているらしく、今夜
は夫婦別々の宿泊だそうだ。
「美那子さんらしいなぁ。狩野も、佐保さんと来れば良かったんだ」
「無理を言うな。佐保はいまそれどころじゃない」
「あぁ、そうでした。狩野さん、新米パパはどうですか。
赤ちゃん、かわいいでしょう」
「かわいいなんてもんじゃないですね。
一日中そばにいて顔を見ていたくらいです。
それが今回の出張は二週間もあるんですよ。娘に顔を忘れられそうで」
「硬派の狩野先輩から、そんなセリフを聞くとは思わなかったな」
「うん。俺も意外なくらい、あっさり親バカになったよ」
真顔でそう答えた狩野に、平岡が 「うわっ、本物の親バカだ」 と返し
たが 「そうだよ、悪いか」 と狩野は開き直っている。
周りの景色が目に入らなけれ、 ここは日本なのではないかと錯覚しそう
な風景だった。
海外で気のおけない友人たちに会えるとは、こんな嬉しい事はない。
それぞれが忙しい立場にあるのに、よくもこの人数が集まったものだ。
「それにしても、よくスケジュールが合ったな。
あとは、霧島君と櫻井君がいれば完璧だったが」
「近衛、もしもだ、彼らがここに来たらどうする」
「どうするって、えっ? 二人がくるってのか?」
まさか、そんなことはありえないだろうと笑い飛ばしているところに、
いつのまに席をはずしていたのか、平岡が誰かを伴って帰って来た。
よく知っている姿が目に入り、私は笑い声を飲み込んだ。
平岡の後ろから現れたのは櫻井祐介で、遅くなりましたと一礼すると、
当然のように席についたのだった。