ボレロ - 第三楽章 -
知弘さんと浅見さんと私の三人の食事会のために、退社後、待ち合わせのホテル
ロビーへと出かけた。
ホテルの玄関まで運転手の前島さんが一緒だったが 「帰りは責任を持って送る」
と知弘さんが事前に伝えてくれていたおかげで、仕事熱心な運転手の監視下から
開放されたこともあり、車を降りると気持ちも動きも軽やかにロビーへと歩き
出した。
先に到着していた彼女に気がつかなかった私は、声を掛けられ振り向いた
のだが、あまりに雰囲気が異なる浅見さんの姿に、全身をじっと眺めるという
失礼な反応をしてしまった。
私服をまとった彼女は、別人ではないかと思うほど違って見えた。
いつものシニヨンがとかれ、輝きを帯びた髪が肩から背中にかけて流れ、見事な
曲線を描いている。
その美しさに目を奪われた。
服やバッグが抑えた色であることも、彼女の佇まいを引き立たせていた。
「コンプレックスは私にもありますよ。浅見さんのように髪が綺麗な方が
本当に羨ましい……私の髪は太くてしっかりしすぎなの。少しクセもあるので、
長く伸ばすと収拾がつかなくなってしまって、だからいつも短いスタイルばかり……
長い髪をなびかせてみたいけれど、願いが叶うことはないでしょうね」
でも、ショートがとてもお似合いです、と彼女は柔らかく微笑んだ。
「そういってもらえると嬉しいわ」
「私も……自信のない手を褒めてくださった方がいて、とても嬉しかったのを
覚えています」
「褒めてくださったのは、もしかしたら男の方?」
一瞬言葉に詰まった浅見さんだったが、はい……と恥ずかしそうな返事がかえって
きた。
男性だと告白したのが恥ずかしかったのか、専務はもう少しお時間がかかりそう
ですね、と話題をさりげなく変えてきた。
「コーヒーでもいかが?」 と誘うと 「はい」 と素直な返事があった。
ロビーが見渡せるラウンジで知弘さんを待つことにして、私たちは入り口近くの席に
腰を下ろした。
自信のない部分を褒めてもらう嬉しさは、私も知っている。
褒められた時は、嬉しいけれど恥ずかしさもあり、くすぐったい気分になるものだ。
私の髪は太くて扱いにくく、手入れが楽だという理由で、もう何年もショート
カットにしている。
長く伸ばしたいと思ったことも一度や二度ではない。
けれど、長い髪を綺麗にセットする自信がなく、肩まで届くのを我慢できずにカット
してしまうのだ。
ロングに憧れながら、仕方なくショートヘアを受け入れていたのだが、その髪を
褒めてくれる人がいるとは思わなかった。
『ショートは 珠貴に良く似合ってるよ』
耳元に手を差し込み、短い髪をかき上げながら宗が言ってくれたひと言は、私の
胸に優しく響いた。
嬉しいのに 「男性は長い髪の方が好きでしょう」 と、つい天邪鬼なことを言った
私に 「俺は短い髪の君がいい」 と宗は嬉しい言葉を告げてくれた。
冬になると、風が冷たいだろうと言いながら、大きな手を耳元に添えてくれる。
夏には、優しい手が汗ばんだ額にかかる髪を梳いてくれる。
いずれも、髪のコンプレックスを忘れさせてくれる宗の手だ。
急に会いたい思いが胸にあふれ、騒ぎ出した胸を抑えるために目を閉じた。