ボレロ - 第三楽章 -


明後日が誕生日だと知った知弘さんが、浅見さんのために食事の席を用意しよう

と言い出し、私へも声がかけられた。

彼女の予定を聞くと、明日なら大丈夫ですが明後日以降は……と言う。

言葉を濁した彼女へ 「では明日 食事に行こう いいね」 と、断る間を与えず

了解をとりつけた。

知弘さんは一見柔らかそうに見えて、思いがけず強引な一面を持っている。

今回の誘いも、知弘さんらしいと言えばそうなのだが、浅見さんには意外だった

ようだ。

知弘さんの強引とも思える誘いは、女性としては困るのではないかと思い、 

「急にお誘いしてごめんなさいね」 と伝えると、「専務の言葉には強い力が

ありますね。思わず、はい、と返事をしてしまいました」 ……と。 

笑いながらではあるが、こんな言い方で知弘さんの意外な一面を彼女の言葉で

語ってくれた。


「どこでもいいというわけにはいかない。もてなしの席だからね。気の利いた店を

探してくれよ」 と、こんな時だけ叔父の権限を振りかざす知弘さんの 『指令』 に

私は素直に従った。

急な事であったため当日の予約は難しいと思われたが、友人の紹介で 

『もてなしの席』 を用意する事ができた。

オーナーシェフが腕を振るい、シェフの奥さまが給仕をするとても小さなレストラン

は、いっさい宣伝をしないため一般に知られてはいない。

それでも連日満席になるのは、足を運び料理を味わった客がふたたび訪れるため

だという。



「今日はありがとうございます。素晴らしいお料理ですね」


「気に入ってもらったみたいだね。よかった。珠貴の友人の紹介なんだよ」



私へも丁寧な礼が告げられ、役目を果たす事ができたとホッとした。

いくつになったのかは聞かないよと、女性の誕生日の常套句を口にした知弘さん

に、 



「お気遣いありがとうございます。でも。専務はきっとご存知ですね」


「いや、知らないことにしておくよ」


「まぁ、それでは、知っていますと同じ答えだわ」



三人に笑いが広がった。

仕事を離れた開放感があるのか、この夜の浅見さんは気負わず私たちの会話に

加わり、これまで見えることのなかったプライベートの部分も垣間見せてくれた。

今夜の主役は浅見さんであることから 「向こうにいた時の話を聞きたいな」 との

知弘さんの問いに、彼女の海外勤務のエピソードを語ってくれた。



「渡米した当初は与えられた仕事をこなすだけで精一杯でしたが、思いのほか早く

慣れました。あまり考え込まない性格ですので、それが良かったのかもしれま

せん。もう少し長く滞在してもいいと思ったくらいです」


「君には海外の暮らしが合っていたんだろう。慎重に見えて、案外大胆な性格

かもしれないね」


「そうかもしれません。でも、日本ではない土地へいくという非日常は、人を大胆に

させるものではないでしょうか」


「そんな方がいらっしゃったの?」



海外出張に旅立ち、つい気持ちが大きくなり、度を過ごす行動をなさる方も

いらっしゃいましたと、話せる範囲で面白いエピソードを披露してくれた。

そんな人々の困ったときの連絡先が浅見さんになっており、いろんな経験をさせて

いただきましたと楽しそうに話をする。

トラブルの処理など、本当は楽しいものではなかったはず。

大変でしたでしょう? というと 「いいえ……貴重な体験をさせていただきました」 

と、さらりと言ってしまえるのはさすがだった 。



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