ボレロ - 第三楽章 -
「狩野も、二週間ほどヨーロッパ視察に出かけていたんですよ。
娘に会えなくて寂しい、行きたくないなんて言いながら出かけていきましたけど」
「まぁ、狩野さんが? ふふっ、お嬢ちゃまが可愛くて仕方がないご様子ね」
娘にベタベタして困ってますと笑っている佐保さんは、春に出産しママに
なったばかり。
赤ちゃんがいらっしゃるため、今日のお出かけは無理だろうかと思いながら
お誘いしたところ、お母さまが赤ちゃんのお世話を引き受けてくださったそうで、
久しぶりの外出ですから楽しみです、とお返事を頂いたのだった。
「狩野さん、視察はどちらへ?」
「イタリアとスイスです。修行時代の先輩が、ベルンのホテルにいるらしくて」
「ベルンですって?」
声をあげたのは私だけでなく、紫子さんも美那子さんも、そして、蒔絵さんも
佐保さんの答えに驚いた。
「これって、もしかしたら……もしかするんじゃないかしら」
「えぇ、もしかするかも」
美那子さんと紫子さんが顔を見合わせてから、美野里さんへ顔をむけた。
「まさかと思いますけど、霧島さんもスイスに行ってらしたとか」
「いえ、でも……僕もスイスに行きたかったと、彼が残念そうに言ってました。
どうして急にそんな事を言い出したのか、なぜスイスなのか不思議でしたの。
でもみなさんのお話をうかがって、彼がスイスに行きたかったわけがわかり
ましたわ」
美野里さんも納得の顔になっている。
「克っちゃんが私の誘いを断ったのは、そういうことだったのね」
「夫」 が 「克っちゃん」 に戻った美那子さんが息巻いているところに、
遅くなりましたと言いながら、大女将に案内されて真琴さんが到着した。
こんにちは、とみなさんへにこやかに挨拶をする真琴さんの腕を引っ張り、
美那子さんの質問がはじまった。
「真琴さ、 正直におっしゃってね」
「はっ、はい」
「先月ですけど、櫻井さん、海外出張に行かれたんじゃありません?」
「えっ、えぇ……私も常務のお供でリヨンにまいりまして、そこで櫻井さんに
お会いしたんですよ。まさか海外でお会いするなんて、感激してしまって……
こんな偶然もあるんですね」
「まぁ、すごいわ。そんなこともあるのね。真琴さん、運命の出会いだと
思ったでしょう!」
「えっ、そうですね……」
恥ずかしそうな真琴さんのお顔は、ほんのりと朱に染まり、本当に
可愛らしくみえた。
真琴さんのお顔の変化に満足した美那子さんは、本題へと入っていった。
「もうひとつお聞きしたいの。櫻井さんはそのあと、スイスへ向かわれた。
そうでしょ!う」
「良くご存知ですね、ベルンでお友達に会う約束があると、そんなお話
でしたけど……あの、それが?」
近衛本社の重役秘書である真琴さんと、私と一時縁談の話があった櫻井さん
は、櫻井さんが真琴さんの窮地を救ったことがきっかけで交流が始まった。
ゆっくりと親交をあたためながら、二人は恋愛へと進みつつあるのではない
かと、この席の誰もが思っていた。
これまでご自分のことを口にすることのなかった真琴さんだったが、美那子さん
の勢いにおされ、思わず返事をしてしまったようだ。
それは、櫻井さんと交際が進行中であると認めたにも等しかった。
宗と潤一郎さん、狩野さん、平岡さん、沢渡さんも、ベルンのホテルにいたの
だと伝えると、真琴さんは大きな目をさらに見開き、驚きを隠せない様子だった。
「彼らは、何を企んでいるのか……」
「そうですね。また楽しい計画を思いついているんじゃないかしら」
「シロナガスクジラさん撃退計画のように……ですか?」
美那子さんと紫子さんの神妙な顔へ、真琴さんのストレートな問いかけがあり、
みなさんから笑い声があがった。
「まぁ、楽しそうなお話ですわね」
「志乃さん、どうお考えになりますか? それぞれ立場のある男性が、
秘密裏に海外で会合ですよ。これは、何かあると考えた方が正しいと思い
ますけれど」
「そうですね……日本でお集まりになられたら、どこにいかれても人目につき
ますでしょう。特に今はマスコミの目もございますから。ですが、外国なら
その心配はございません。
日本各地の空港から外国のある場所へお集まりになり、現地で密談が行われた
と、そんなお話を以前はよくうかがいました」
「なるほど、出張先で集合なんて考えたものね。珠貴さん救出作戦の再来
かしら」
「えっ? 私、今回は誘拐されていませんよ」
「あらっ、ごめんなさい。では、珠貴さんをマスコミから救え作戦かしら」
美那子さんのネーミングにみなさん湧き上がった。
でしょうね、間違いないわね、と口々に美那子さんを支持する声が聞かれ、
そんな私たちの様子を、志乃さんはおおらかな笑みをたたえながら、黙って
ご覧になっている。
「男の秘密なんて、こうしてもれるものなのよ」
「そうかもしれません……こういうことだったのね」
「佐保さん、なにかお心あたりでも?」
「ホテルの新しいプランのひとつに ”男性だけのサロン” というものが
ありましたの。男性会員限定のクラブを作る計画で、かなり具体化していた
ので、いつプランを練ったのかと思っていましたけど、ベルンでみなさんと
お決めになったのね」
「まぁっ、潤一郎さんったら、なんにも教えてくれなかったわ。まぁ、
それはいつものことですけど、ちょっと悔しいわ」
「彼らは秘密のつもりでしょうから、みなさん、私たちも知らないふりで
いましょうね。あちらはあちらで話し合ってもらいましょう、私たちも負けられ
ませんわよ。それにしても、いつまで続くのかしら。週刊誌もホントしつこいわね」
週刊誌騒動へと話が移ると、女性だけの食事会はますますの盛り上がりと
なった。