ボレロ - 第三楽章 -


夏の終わりに始まった週刊誌騒動は、すでに二ヶ月に及んでいる 。

騒ぎの中、目の前の仕事と役割をこなすだけの日々に、季節の移ろいを感じ

取る余裕もなかった。 

一時の異常な騒ぎは見られなくなったものの、私たちを悩ます記事はいまだに

掲載され、そのたびに顔をしかめ気持ちがささくれていく。 

解決の糸口が見えそうで見えない状態は、精神的疲労の蓄積となり、マイナス

思考を生み出す要因にもなっていた。


秋色のジャケットも、トレンドを先取りしたラインのスカートも、秋の空気に

触れることなくクローゼットに眠っている。

「最近はダークなものばかりね。ときには明るいお色も着なくては」 と 朝食

の席で母に言われた。

私が選ぶ服は、気持ちを代弁するように沈んだ色ばかりになっていたようだ。

無意識に暗い色を選んでいたのかと気づき、さらに深く沈んでしまう心をどう

したらいいのか、 

自分自身でももてあましていた。

美那子さんからお誘いがあり、親しいお友達との会食に出かける日でさえ、気持

ちを奮い立たせなければ億劫で無気力な思いに押し切られそうだった。

少しでも気持ちを高めようと思い、クローゼットに眠っていた秋色のジャケット

とスカートを身にまとい出かけた。


そこで、宗に会えるとは思わなかった。

彼の姿を目にしたとたん涙が溢れ、心と一緒に体が前に飛び出していた。

しがみついた私を、宗はしっかりと受け止めてくれた。

涙を見せた私に驚きながら、涙を手で拭い、拭いきれない雫は彼のシャツが

吸い取っていった。

感情の高ぶりを鎮めてくれたのは、宗の静かな声と優しさと強さが溶け合った

唇だった。

思いがけない再会は、ささくれていた私の心をなだらかにした。



「涙のわけを教えてくれないか」



いたずらをして叱られた子どもに話しかけるように、泣きはらした私を覗き込む

宗の顔は、大人の余裕をただよわせている。 

泣いてしまった恥ずかしさがこみ上げ、両手で顔を覆ってしまった私の手をゆっく

りとはずすと握り締めた。



「ほら、話して……」



もう一度促され、胸の奥で燻っていた不安と迷いをひとつずつ言葉にした。

こんなにも多くのものを私は抱えていたのかと、自分でも驚くほどの思いが口

からこぼれ出た。

感情的になりときおり言葉に詰まると、握った手に力を込めながら、急がなくて

いいから……と励まされた。



「君をずいぶん不安にさせていたようだ。もっと早く話を聞くべきだった」


「いいえ、今だから話せたの」 


「もうすぐ良い報告が出来るはずだ。その時話そうと思っていたんだ」


「何かわかったの?」


「有馬総研を知ってるね」


「えぇ、加南子叔母さまが熱心な信者だわ」


「信者とはうまく例えたね。さしずめ所長は教祖だな。経営のプロが、とんでも

ない指導をしているようだ」


「有馬所長が?」


「うん、いま狩野や霧島君が動いてくれている。漆原さんも情報をつかんだと

連絡があった。今夜、彼らに会うことになっている」



わかったことはすべて報告する、もう少し待ってくれと言われ無言でうなずいた。



「取り乱してごめんなさい……」


「感情的になった顔も嫌いじゃないよ」


「そんなこというなんて、嫌な人ね」


「好きだからしかたないじゃないか」



宗のあまりにもストレートな表現に顔が火照り、赤らんだ顔を隠したくて体ごと

背けた。

背いた体はすぐにつかまり、宗の胸に引き寄せられた。

膝が崩れ、投げ出された足をそろえようとするが、彼の手が足の自由を阻んで

くる。



「誰かくるわ……」


「こないよ。近づかないようにと言っておいた」



したり顔の彼をにらみつけたが、次の言葉が声になる前に口の自由も奪われ、

宗の情熱にあらがうことができなくなっていた。

肩越しに見えた一輪挿しに秋明菊の白い花びらが見えて、秋なのだと季節を

感じた。



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