ボレロ - 第三楽章 -
今朝のダイニングは、ピリピリとした空気が張り詰めていた。
紗妃のおしゃべりも母の小言もなく、もちろん私も口をつぐんでいる。
いつもなら無言か、ときに新聞で興味を引いた記事を一方的に口にするだけの
父が、食事のあいだも母だけを相手に懸命に話している姿をはじめて見た。
両親が熱心に語っている内容は、知弘さんの結婚と将来についてであり、およそ
父には似つかわしくない話題だが、何をおいても解決しなければならない問題
だった。
知弘さんの結婚について何も聞かされていなかった紗妃は、両親の会話から
事実を知り、 食事をしながら聞こえてくる内容に驚きの表情を浮かべていたが、
それらについて聞き返すことも質問もしない。
末っ子というのは、幼い頃から空気を読むことに長けている。
この場で両親に口を挟むべきではないと判断したようだ。
向こうの部屋へ……と私に目配せしてきた。
手早く食事を済ませ、そろってダイニングを退出した娘たちを、母は不思議に
思わなかったらしい。
それほど今朝の母は、父との会話に集中していた。
「知おじさま結婚するんだ。それになに、オメデタ婚だって? びっくりしちゃった」
「2月が予定日なの、私たちの従兄弟が生まれるのよ。楽しみね」
「お相手の静夏さんって、近衛さんの妹さんでしょう。ねぇ、いつ知り合ったの?
珠貴ちゃんがらみ?」
「知らないわよ……」
「ウソだぁ、知ってるくせに」
「本当に知らなかったの。私たちも驚いたんだから」
「私たちかぁ……ふぅ~ん」
生意気盛りの妹は、私の言葉尻をつかまえて試すような発言をする。
でもさ、複雑ね……と、両親の心配を理解する言葉かと思ったら……
「知おじさまは私たちのおじさまだから、生まれる赤ちゃんは従兄弟だけど、
静夏さんは近衛さんの妹さんだから、わたし、叔母さんになっちゃうの?
えーっ! 高校生でおばさまなんて、やだぁ」
「勝手に話を進めないで、私はどうなるかわからないのよ」
「えっ、どうして? 近衛さん、わたしのお兄さまになってくださらないの?
イヤだって言われたの?」
「紗妃ちゃん、あのね、だから、今は無理なの。お父さまのお話を聞いてたでしょう。
大人はいろいろ複雑なのよ」
「もっと簡単に考えればいいじゃない。さっきのお母さまのお話も、聞いてて
イライラしちゃった。加南子叔母さまがどうとか、叔父さまのご意向が気になる
とか、考えても仕方がないじゃない。
赤ちゃんは生まれてくるのに、迷ってる暇なんてないでしょう!
珠貴ちゃんだって、近衛さんとさっさと結婚しちゃえばいいのよ。叔母さまがなん
だって言うのよ。わけわかんない」
「簡単に言わないで……」
「あーあ 、人ってメンドクサイの」
言いたいことを言うと、紗妃は怒った顔のまま出かけていった。