ボレロ - 第三楽章 -


古いビルにはそれなりの風格があった。

どっしりとした構えは今の時代にはそぐわないのかもしれないが、長い年月を

耐え抜いた誇らしさがある。

当時ここに事務所を構えることが成功への入り口だった。

誰もが成功を信じ上を目指した時代には、どの階も活気に溢れ、前途洋々な顔が

行きかい、階段にまで人が溢れていた。

それが景気の停滞とともに、寂しい空間へと変化していった。

それでも一時代を築いた誇りがあり、栄光の時は確かに存在したのです、と重みの

ある言葉で長いスピーチは終わりを告げた。

過去の栄光があるだけに、現実を受け入れることの難しさは想像以上だっただろう

が、自ら幕を引く潔さに感動を覚えた。


では、私はどうなのか。

心に響くスピーチを聞いたあと、このままでよいのだろうかとの思いが激しく心を

揺さぶった。

自分の想いを貫くことが本当に良いことなのか。

周りを犠牲にしてまで得てよい幸せなどないのではないか。


宗の報告を待つまでもない。

彼は私のために良いことしか伝えないだろう。

そして、また私のために誰もが犠牲を払う。


宗への想いを貫くためには、多大な困難と犠牲を伴わなければならない。

両親が親族から受けるであろう非難は、知弘さんの結婚の比ではなく、それは

近衛のご両親も同じこと。

私を配偶者にすることにより宗は多忙を極め、自分の時間を削ってでも両社を守り

抜いていかなければならなくなる。

成功して当たり前、失敗すれば彼がすべての責任を負うことになるだろう。

それだけではない、多くの社員が路頭に迷い行き先を失う事態を生み出すことに

なる。


私だけが想いを貫いて良いのだろうか。

そんな事が許されて良いのか。

いいはずはない。 

今ならまだ間に合う、引き返すだけなのだから。

今ここで立ち止まらなければ。


迷いの縁を歩いていた私だったが、考えを突き詰めた結果一つの結論に達した。 



「珠貴」



暗く細い道を歩く私を明るい世界へと連れ戻す声がした。

弾かれたように振り向くと、宗が心配そうに私を見つめていた。



「堂本から君が来ていると聞いて探していた。どうした気分でも悪いのか」


「うぅん、そんなことはないわ。少し考え事をしていたの」


「ならいいが……気分を変えた方が良さそうだな」



大勢の招待客は、次々と語られるビルの思い出のスピーチに耳を傾けている。

私たちが会場を抜け出すことに気を留める人はいなかった。

宗の手に導かれて上階までエレベーターでいき、もう少しだからと言う声に従った。

私たちは古い階段をのぼっていた。


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