ボレロ - 第三楽章 -


翌日の新聞に、ビルの騒ぎを伝える小さな記事があった。


『パーティーの最中の電気系統のトラブルにより、招待客らが避難する騒ぎが

あった。ビルは近く解体の予定で、昨夜はお別れの会が催されていた。

客のほとんどは無事にビルの外へと避難したが、屋上に取り残された客がヘリ

コプターで脱出した模様。

ヘリコプターで救出されたのは男女で、二人が負傷していたかなどは不明である』


昨夜の騒ぎが、この程度の報道ですんだことにホッとした。

今朝方、漆原さんから連絡があり、昨夜の騒動を記事として扱った週刊誌は、

今のところないと知らせがあった。

もろもろの報告もあるので、今日会えないだろうかといわれ、もうじきここにやって

くることになっている。


今朝の珠貴の様子は、さきほど狩野が知らせてくれた。

体調も落ち着き心配はないだろう、今日一日は安静にという沢渡医師の指示で、

部屋に滞在することになっている。

見舞いなら家族がいないときに行けよ、と親友らしい伝言が添えられた。


昨夜……知弘さんの知らせで駆けつけた珠貴の両親に 「ご心配をおかけしま

した」 と頭を下げた私に、「お世話になりました」 と須藤社長から丁寧な礼

があった。

母親は挨拶もそこそこに珠貴に駆け寄り、寒さで震える娘の体を抱きかかえた。

前後して到着した私の両親も私の姿を見てひとまず安心したが、珠貴の状態に顔

を曇らせた。

ヘリの到着とともに沢渡医師が待機してくれていたと伝えると、親たちから沢渡

医師へ感謝の言葉がのべられた。


私の両親と須藤社長はその後帰宅したが、珠貴の母親は残り、今朝も娘に付き

添っている。

沢渡さんが出勤前に様子を見にきたといい、珠貴を診たあと私の部屋に立ち

寄った。



「診せてもらおうかな」


「えっ、俺は大丈夫ですよ」


「極度の緊張を体験したんだ。気持ちが緩んだあとに疲労がくるんですよ」



そういわれると専門外の私には何も言えず、沢渡医師の言葉に神妙に従った。

医者の顔になった沢渡さんは私の体を診ながら、珠貴の様子を教えてくれた。



「珠貴さんは体より精神的な疲労が大きいようです。騒動の最中にまたトラブルに

巻き込まれて、彼女も心が休まらないのでしょう」


「気になったことがあるのですが……」



何かに追い詰められたような言動があり、かなり参っていたようだと昨夜の珠貴の

様子を伝えると、そんなことがあったとは……と、友人の顔になった沢渡さんは眉

を寄せた。 



「心理的に追い詰められたんでしょう。自分のために周囲に迷惑がかかる、 

自分さえ我慢すればいいと思い込んでしまう。そうやって自分を追い込んでいくん

です。または、そう思うように仕向けられたとも考えられますね」


「誰かが珠貴を追い込んだっていうんですか」


「この場合、異常な事態が珠貴さんを追い込んだと考えられますが、 

誰かが彼女を追い込んだ可能性もあるということです」


「心理的に追い詰められたら周りが見えなくなる、誰もが信じられなくなりま

すね……」
 

「えぇ、そのとおりです」



屋上で聞いた珠貴の苦しげな声が耳に蘇った。


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