巡り愛
そろそろ外来が始まる時間になって、僕は矢野と別れて外来に向かっていた。
エレベーターを待っていた僕は不意に看護師の一人に声をかけられた。
「桐生先生、あの・・・」
遠慮がちに声をかけて来たの心臓外科で一緒に仕事をしている看護師の女の子だった。
「はい、何か?」
どう見ても仕事の話じゃないのはすぐにわかったけれど、僕は敢えて愛想よく聞き返した。
少し離れたところに数人の看護師達が集まっていてこちらを伺うような視線を向けている。
僕に声をかけてきたこの人は彼女達の代表ってところだろうか。
「あの・・・先日救急で運ばれてきた女性は・・・その、先生の・・・」
「ええ、僕の婚約者です」
「え・・・」
聞きにくそうに顔を赤くしながら途切れ途切れ訊ねてくる彼女の言葉を最後まで聞かず、僕はにっこりと満面の笑顔で答えを告げた。
僕の答えに目を丸くして固まる彼女に無言で念を押すように僕は笑顔を深めた。
ちょうどそこにエレベーターが到着して扉が開いた。
「それじゃ、外来が始まるから」
僕は笑顔のまま開いたドアの中に乗り込んだ。
質問してきた彼女はドアが閉まるまでずっと固まっていた。
矢野が言っていたことはまんざら嘘でもないってことか。
これ以上面倒になる前に、さっさと院長に報告して公表した方がいいかな?
エレベーターの中でそう決めた僕はさっきみたいなことは面倒だなと思いつつ、それでもあいを“婚約者”と言えたことが嬉しくて、勝手に口元が緩んでしまった。
こんな顔矢野に見られたらまた煩く言われそうだ。
でもやっぱり嬉しいものは仕方がない。
エレベーターが目的の階に着くまでの僅かな時間、僕は一人でその嬉しい余韻に浸っていた。
あいのことを思っていると無性に会いたくなる。
でもそんなわけにもいかないから、仕事が終わるまでの我慢だ。
今日もあいの部屋に帰るつもりだから、できるだけ早く終わらせよう!
そのためには・・・と頭の中で今日片付けなきゃいけない仕事の段取りを考えているとエレベーターが目的の階に止まった。
僕は気持ちを仕事モードに切り替えながら緩んだ顔を引き締めて歩き出した。