株式会社「C8」



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事務所の三階で、医学書を片手にコーヒーを飲んでいた冬真は、穏やかな静寂を破った二人組を怪訝そうに眺めていた。

与えられた二日間の休暇明け。夕刻には依頼主であるクランケのオペが控えている。



「まだ連絡取れないの?」


「はい…。まさか、黒野と何かあったんでしょうか…。」


「…奴の目的が反れたなら、追われている筈は無いんだけど。…とりあえず、クライアントに依頼完遂の報告入れるから、皐月は新薬のデータを送れるようにあたしのパソコン立ち上げといて。」



浩子は至って冷静だが、皐月が珍しく慌てた様子である事に、冬真は先程から首を傾げている。何かあったのだろうか。じっと観察していると、眉を下げた皐月と目が合う。

「お疲れ様です。」そう会釈されたが、やはりいつもと様子が違う。



「何かあったのか?」



そうは尋ねてみたものの、困った顔をされたのでそれ以上は何も追及しなかった。どうやら説明するのも難しいらしい。

それならば、あまり深く追及すまい…と、医学書に視線を落とし、再び自分の世界へと浸り込む。



医学とは実に面白い。

技術と経験がものを言う世界だが、クランケの生命力が起こす『奇跡』は医学の枠を超越していると思う。それには毎回のように驚かされる。

若くして、三週間の余命宣告を告げられたクランケが、後に年老いて老衰で死んだり、手の施し用の無い末期患者の身体から、突然にして悪性の腫瘍がキレイさっぱり消えていたり――。

彼等の身体の中で、一体何が起こったのか。それが分からないから『奇跡』と呼ぶだけであって、もし、何かしらの理由が分かれば単純に『回復』と呼ぶのだろう。そうなればそうなったで、極してつまらなくなってしまうのだが…。

医学の進歩と共に、『奇跡』は無くなる。『回復』と名称が変わるだけだと言えど、意味合いが違うのだ。

奇跡だの運命だの、そう言った類いの物にロマンを感じる年でも無い筈なのに。未だに追い求めている物が現実的では無いのだから、自分という生き物が些か滑稽でならない。


ヴヴヴヴ…ヴヴヴヴ…


ふと、携帯の震える無機質な音が冬真の耳に入った。同時に皐月の声も張る。



「八代から電話来ました!」



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