株式会社「C8」
そう言えば、何故彼女は自分に頭を下げたのだろうか。直接顔を合わせた事も無いのに。尊はふと疑問に思う。
しかし、今更なんだかんだと疑問を持ったところで、幽体相手に人間側の事情など通じない。彼等の行動は常に常識を逸しているのだから。
いつもの店主が水の入ったグラスを持って来る。手拭きも一人分だけをテーブルに置き、側に立つ『彼女』の存在には目もくれない。そして、尊からコーヒーのオーダーを受けるとにこやかに微笑み、カウンターの中へと戻って行った。
尊は店主の後姿を確認し回りを気にしつつ、立ったままでいる久坂部夏芽に席に着くよう勧める。すると、彼女は少し遠慮がちにテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。
改めて目を合わせると、彼女の方から声をかけて来たので尊は手に持ったグラスをテーブルに置いて、話を聞く事にする。
『あのぅ、C8の方ですよね…。依頼の件の。私…久坂部夏芽です』
「はい、初めまして。神城尊と申します。私は主に心霊関係の依頼を担当しております。この度は、まだお若いのにお気の毒でした…心より御悔やみ申し上げます。御両親から、恐らく貴女の事だとは思いますが依頼を請け負っています。もうじき此処に来られるでしょう…何か、心当たりは――」
声量は小さく、それでもちゃんと聞き取れるようにと配慮を忘れない。彼の良い所はどんな相手に対しても礼儀を尽くし、気配りが出来る紳士的な態度。唯一、それが出来ないのは父親に対してのみだ。
夏芽は少し肩を強張らせ、緊張しているようだった。ショートカットの黒髪がふわりと揺れ、大きな瞳がゆらゆらと哀愁を漂わせている。
尊の言葉に、彼女は何か迷うような表情を見せ、少しの間を開けてから申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
『両親は来ません。今回…依頼をお願いしたの、私なんです。以前、父が貴社に護衛を依頼した事がありますよね?それで…父の手帳にあった連絡先を見て…親の名前を借りて……えっと…ちょっと記憶が曖昧な部分もあるんですけど…』
「………貴女が…依頼を?」
語尾をごにょごにょと濁し、尊の表情を窺う彼女。
その様子から、依頼主の名を偽って交渉に及んだ事が良くない事だとは分かっているらしい。自分達の組織が一体どういったものなのかは、理解出来ていないようだが…。