インストール・ハニー
ジャー。
トイレの水を流して、用を足したフリをする。また深呼吸してトイレから出た。そうだ。楓に紅茶、持って行かなきゃ。
キッチンに行くと、お母さんが買い物袋から色々出していた。夕食のメニューはなんだろう。
「青葉、新しい茶葉買っておいたわよ。この頃、珍しく紅茶なんか飲んでいるみたいだし」
「え、新しいの?」
ココアや緑茶、紅茶、ウーロン茶なんかが入ってる戸棚を見る。来客の時と、お父さんがコーヒーを飲む時くらいしか開閉されないんだけど。
ローズヒップやダージリン、ジャスミンやキャラメルフレーバーなんていうのもある。
「好きなの飲みなさい」
「うん、ありがとー」
お母さんグッジョブ。見てないようで見てるね。さすがに、まさか男が部屋に居るとは思わないんだろうけど。あたしはお茶の用意をし、階段を上って自分の部屋へ向かった。お母さんに気付かれないよう、カップは2個用意した。
グラグラと不安定なトレーを持ちながら部屋に戻ると、タロウがお座りして楓に尻尾を振っている。慣れてきたのかな。
机にカップを置く。ありがとう、そう言って楓は香りを嗅ぎ、ひとくち飲んだ。部屋に甘い香りが漂う。
「これはいいね。すごく良い香りだな」
「キャラメルだよ」
「キャラメルって初めて飲んだ。お菓子しか知らない」
楓が住んでいるところには、キャラメルフレーバーが無いのかもしれない。こっちの現実でだって飲んだことがない人は居るだろうから、別に不思議じゃないけど。
楓の住む現実とこっちの現実の違いがよく分からない。こうしているのが普通になってきている。あたしの何かが麻痺している。
そこが指定席みたいになっているけど、楓はあたしの勉強机の椅子に腰掛けて、紅茶を飲んでいる。
部屋には甘いキャラメルの香り。あたしもカップに口を付けた。甘い香りが、脳味噌をくすぐっているようだった。
「今日は、学校どうだった?」
「どうだったって、朝は一緒だったし、お昼も一緒だったじゃん」
「教室へは行ってない。呼び出されなければ、分からないからな」
授業中のことを言ってるわけね。
制服のポケットの中に入ってるスマホに居るからって、外の世界の会話が聞こえるわけじゃないのか。ずっと一緒だなんて言ってたくせに。