死使
 雲が割れる。いや、割れた。ふわふわの綿菓子のような雲がパリっと二つに割れ、吸い込まれていく。トーストを割るように、それか卵を割るように。パリっ。たしかに音が聞こえた。雲は大気中に浮かぶ水滴または氷の粒が凝固したもの。液体から個体。
 だから音が鳴ることにびっくりした。私の大好きな板チョコと同じ音。
 パリッ。
 私の身体は柑橘系の匂いを振りまいている男の背中に預けている。肩幅広く、安心できる背中。それでいて柑橘系の匂いが私の鼻孔をかすめ、眠くなってくる。髪の毛は銀髪でサイドが癖っ毛なのかくりんとカールしている。男の襟足が私の鼻先を掠め、くすぐったい。でも。くしゃみはでないからよしとする。そもそも私はなぜ、男の背中にいるのだろう。と疑問に思うけど答えは見つからない。でも数秒後には、
「えっ、嘘。ここって空?」
 と声を上げる。それも大きい声。決してレディーが上げてはいけない声。お父さんとお母さんには、「女の子は気品良く、おしとやかに、男性を立てなさい」と口を酸っぱく言われた。でも、私は無視。なんだか押し付けがましい態度に嫌気が差す。
 だからといってなんで私は空にいるんだろう。
「いきなり声を出すな。僕はうるさい女が嫌いだ」
 そう言い銀髪の男が私に振り向いた。胸が高鳴る。切れ長の眉に、目。シャープな顎。どこか陰のある雰囲気。まさに私の理想。ザ・イケメン。とは彼の事だ。途端に私は無言になる。昔からそうだ。どうでもいい男には好かれるけど、いざ自分がいいと思った男になると途端に尻込みする。
 臆病。
 そう、私って臆病。そんな自分に嫌気が差す。変な所で意地を張り、変なところで強気で、変なところで弱気。それが私。
「ごめんなさい」
 銀髪の男に向かって私は、ただその一言を背中に身を預けながら放つ。細身のくせして筋肉質だから余計にきゅんとなる。贅肉は嫌いだけど彼にはそれがない。だから尚更、きゅんとなる。
「やけに物分かりがいいな。さっき喚いていたときとは大違いだ」
 その抑揚のないしゃがれ声が私の心の導火線に火をつける五秒前。でもすぐに鎮火する。臆病だから。
「いや、あの、私はどこに行くんですか?」
 私のバカ。なんでそんな質問しかできないの。でも待てよ。冷静に考えれば、理に敵った質問だ。だって空にいるんだもん。雲も割れたし、若干酸素も薄いし。呼吸しづらい。
「それはいえない。むしろ言う必要もない」
 なんだか釣れない。無愛想すぎる。モテると自分で思い込んでいる男はこれだから困る。それって私の考えすぎ?
「名前はなんていうの?」
「名?君らの世界ではそれが重要な意味を持つらしいな」と銀髪の男は言い、「シシだ」と断言した。
「変わった名前だね」
「もうすぐ到着する。ここからは空気が吸えない。さあ、眠れ」
 私の言葉は無視され、偉そうに眠れだなんて、こいつ何様?と私の率直な感想。そうはいってられない状況が訪れる。息ができなくなり、さらには周囲が闇に包まれた。目を瞑った時と同じ感覚。それと違うのは、いつもだったら邪念が入り込んできて、ああでもない、こうでもない、事に鬱々と悩み考えるのに今回は無だった。
 怖い。
 私がそう思った直後、なにも感じなくなった。
 絶対的な無、闇。
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