教師Aの授業記録
「――私と兄は小さい頃からほとんど二人きりでした」
そう切り出した彼女の目はどこか吹っ切れたように迷いが無かった。
「私の家庭は、両親が早くに離婚して、母子家庭だったんです。
ほんの短い間だけ三人で暮らしてました。
しかし、その母も身体が弱くて、私が小さい頃に仕事で身体を壊してからずっと、今も入院し続けてます」
田中は相槌を打つことも忘れ、ただ彼女の話を静かに訊いていた。
「当然生活は苦しかったです。まぁ今も苦しいんですけど…。
それでも私達は何とかやってきました。
兄を犠牲にして…」
たちまちに彼女の表情は曇った。
「兄は中学校を卒業してから進学の夢を諦め、私と母の為に必死に働いてくれました。
郵便配達や土木作業やガソリンスタンドやコンビニやレストラン等の接客業や、やれることは何でもやっていたと思います。
私はこのまま兄に苦労を強いていいのだろうかと、ずっと思っていました」
「………」
田中は息を呑むばかりだった。
彼女の抱えていたものは彼の想像以上にヘビーなものだった。
「そんなことを思っても子供の私にはどうすることも出来なかった。
そうして気付けば私は、兄のお陰で無事に希望通りの高校へ入学することが出来ました」
宙を見る眼差しが大切な誰かを想うそれになる。
「……本当に、兄さんには…言いつくせない感謝の気持ちでいっぱいなんです」