教師Aの授業記録
「…そーですね」
彼女はその時のことを思い出すように、斜め上を向く。
「…しいて言えば……確か…、生地を舐めてみたら、甘さが足りなくて…」
再び逆方向へ「うーん」と首をかしげる。
「でもちょうどその時砂糖を使いきっちゃてて、とっさにみりんを入れたら、どぼどぼと沢山入りすぎちゃって…」
言いながら思案気に指を顎に当てる。
「こうなったら酸味だと思ってお酢を入れたら、またどぼどぼと入っちゃって…」
「………」
田中の眉間に、深い皺が数本加わった。
「こうなっちゃったらもう辛味しかないだろうと思って七味唐辛子とわさびを加えました。
でも味見したらよく分からない味になってて、これを美味しくするにはもう、旨み成分たっぷりのトマトを入れるしかないなと思って、とっさにトマトジュースを…」
「…………」
その時の田中の頭に浮かんだのは闇鍋の中身と化したケーキの生地だった。
何と言うか、彼女の考え方自体が宇宙レベルに想像を絶していた。
田中は必死に皺の寄りすぎた眉間を揉む。
「…それは…もしかして…色んな物が混ざりすぎた結果、きっと俺達の想像も及ばないものすごい化学反応が起きてしまったのかもしれねーな…」
自分なりに考えたみた結果、頭の中で出た結論を口にする。
「――そしてお前はとんでもない新物質をこの世に生み出してしまったんだ」
そこにきてやっと山下絵里の顔が青ざめた。
「……とんでもない新物質ですか」
「そうだ。たとえば、脳細胞を侵してしまうほどの…」
と、言いかけて、田中は「しまった」と自らの失言気付いた。
しかし時は既に遅く、山下絵里が青ざめた顔で「うぅ…」と唇を震わせて、泣き始めてしまっていた。