散華の麗人
風麗は真っ直ぐと2人を見た。
「では、かつて大阪城夏の陣で使われた戦法は如何でしょう。」

大坂の陣
慶長19年~ 慶長20年に起きた、江戸幕府が豊臣宗家を滅ぼした戦いである。
慶長19年の大坂冬の陣と同20年の大坂夏の陣からなる。両陣をあわせて大坂の役とも称する。

風麗が話を続ける。
「時間稼ぎをし、敵をおびき寄せ、ひきつけると一気に攻め込む。真田丸での戦法……かつて、真田信繁……一般にいう、真田幸村が使った戦法です。」

真田丸とは、大阪城の外に幸村が築いた出城である。
直径およそ200メートルの半円形をなし、円の外側には空掘と土塀、そして三重の柵が設けられていた。
物見台として井楼を設け、さらに七つの櫓が守りを固める。
堀の内側は武者走りとよばれる幅2メートルの通路で2段に分けられ、上下の銃眼から外の敵を狙う。
難攻不落といわれた大阪城も南側だけは敵の侵入を防ぐ川も水堀もない弱点だった。
そこに幸村は真田丸をつくり、純粋に真田の兵で固め、戦いの最前線に身をさらしたのである。
真田丸は敵の動きをつかみやすい反面、突出していて攻めやすい場所でも あった。
そこに敵を集中させて、集中して出てきたところを引きつけて叩くという戦法をとったのである。

我先にと相手が堀に飛び込み一斉射撃の的となる。
相手は退くこともできず総崩れとなり、死者300人、負傷者は数え切れぬほどの大敗を喫している。
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