桜舞う

〜「鈴」〜

鈴が和那の国に来て5日ほどたった頃、吉辰は鈴姫を外へ誘った。
和那の国は、鈴姫の兄である橘直之の領土が広がる西国と東国の中間にあり、こじんまりとした小さい国である。しかし、吉辰の父である辰之介の改革により商売が発展し、農民や商人の暮らしは豊かではないものの、毎日のように市が開かれるほど賑やかであった。辰之介自身、わずかな共を連れて城下まで行くような殿であるため、国は平穏そのものであった。

城をでて少し歩くとすぐに市が見えてきた。吉辰は鈴姫を伴い、共には吉辰の右腕である斉木官兵衛、そして松江のみを連れていた。前を吉辰と鈴姫が歩き、後ろから官兵衛と松江が歩く。
「斉木様は吉辰様にお仕えしてもう長いのですか?」
「はい。吉辰様が元服される前からお仕えしております。」
官兵衛は吉辰と同じくらい上背があり、物静かな雰囲気を纏う侍である。
「…吉辰様は辰之介様によく似ておいでです。お若いのに誠、聡明な方です。」
松江が見た官兵衛の横顔は、心から吉辰を敬っている真摯な表情であった。その横顔に、松江は思わず本音が出てしまった。
「吉辰様なら、姫様を幸せにして下さいますか?」
松江の言葉に官兵衛は驚きを隠せなかった。しかし、己のすべてを掛けてでもお守りしたい殿がいるからこそ、松江の気持ちは痛いほど分かる。
「必ず。」
力強く答えた。

市に着くと鈴姫はとても懐かしい気持ちになった。鈴姫は、今でこそ西国で広大な領土を誇る橘直之の妹であるが、元を辿れば農民の出である。直之がまだ足軽程度の侍だった時は、鈴姫は田畑を耕し、朝の市に行って野菜や着物を値切ってもらいながら生活していた。あの頃は、兄の妻である沙耶も生きており、毎日が穏やかであった。

(嬉しそうだな…。)
鈴姫の横顔を見て吉辰はそう感じた。しかし、ただ嬉しそうにしているだけでなく、同時に諦めや切なさのようなものを感じた。何を考え、何を感じているのか知りたかった。しかし、まずは鈴姫に安心させる事が第一と考え、外に誘ったのである。
「何か気に入ったものがあれば買うといい。遠慮せずに、な。」
突然かけられた言葉に鈴姫ははっと吉辰を見上げた。祝言の夜と同じ穏やかな笑み。
出会って夫婦になってまだ日が浅いが、鈴姫は吉辰は今までの殿方とは違うと感じていた。ふと思い出されるのは暖かい腕。何があっても傷つかぬよう、何も感じぬよう、感情を出さぬように壁の向こうにこもり、自分を守ってきたつもりであった。だが、守らなければならない理由がない。
(お優しい方…なんだわ。)

市では人々が鈴姫様と呼んでは何かしら贈り物をされた。小袖、結い紐、草履、紅、魚、餅、野菜と、次々と渡され、終いには持ちきれないほどになった。もらってばかりの鈴姫はすっかり委縮してしまった。
結局、人手が足りず城から人を呼び寄せ、待っている間吉辰と鈴姫は城下町から少し離れたところにある桜の木の下にいた。
「疲れてはいないか?」
「…大丈夫です。」
ほとんど話さないが、壁の向こうに行かないでそのままでいられる空気が心地よい。
兄が城主になってからは、庭にでるくらいしか外を歩いたことがない。考えてみれば、毎日畑を耕し、市で値切ってもらいながら生活していた自分が嘘のように感じる。

上を見上げると桜が満開だが、隣を見ると鈴姫に笑みが浮かんでいた。

「鈴は桜が好きなのか?」

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