琥珀色の時間
その日から 私たちの関係は少しずつ変化していった
それまでは いかなるときも優位に立っていたが 彼の手と唇に支配され
欲望を押しとどめることができなくなっていた
彼もまた 私の体に挑むことで 掴みきれない ”何か” を探り 描くこと
への執着を見せた
「国立の特別展 見に行ったんでしょう どうだった? 感想を聞かせて」
「行って良かった なんていうのかな 絵が話しかけてくるんだ」
「どの絵がアナタに話しかけたの?」
「二番目の展示室の最後の絵 見てたら動けなくなった
作者の生活や思いまで見えたような気がしてさ こんなこと言うの変かな?」
「変じゃないわ J は感受性が優れているの もっと自分の感性を信じて
そして自分の物を確立するのよ わかる?」
「うん アナタが言うと そんな気がしてきた」
自分で絵を描くくせに 人の描いたものにあまり興味を示さなかった J に
”絵と向き合うこと” を勧めたのだが その成果は思った以上のもので
文学書の感想と同じく 溢れ出る想いを語ってくれるようになっていた
語り尽きぬときはベッドに入ってもそれは続き 彼の手で満たされ余韻を感じて
いたいのに アナタはどう思う? などと聞いてきて私を困らせること
もあった
「J 今度の展覧会 どうするの?」
「もちろんエントリーするよ このまえ ビィーに褒められた構図を
試してるんだ 上手くいきそうな気がする」
「面白そうじゃない 今度見せてよ」
「ビィーに見せるのは出来上がってから でなきゃアナタの正しい批評を
聞けないじゃないか 僕を評価してくれる日まで 製作過程は見せられない」
「ふぅん 言うじゃない わかったわ だから……」
「だから 何? この手を緩めて欲しいとでも?」
意地悪な目が私を見据えながら 隅々まで知り尽くした唇が私の弱みを捉え
長い指が じりじりと極限に追い詰めていく
言葉では優位に立っているが 体はすでに彼に征服され どうにもならないと
ころまできていた
それでも私の口は なおも彼へ命令を続けていた
「違うわ……遊びすぎよ 女の子の体を渡り歩くような真似はやめなさい」
「僕が複数の女の子と付き合ってるって どうしてわかるの」
「女は男の体に匂いを残すのよ」
「へぇ そうなんだ じゃぁ 男は?」
「女はずるいのよ 男の匂いをすべて消し去るの
私からほかの男の匂いはしないでしょう」
彼と私の関係は 若い才能を育てるために 自らを与えている間柄として
これまで存在してきた
しいて言えば 教え諭す側と 教えられ羽ばたく側で 愛情はあっても 男女の
それとは異なるのだと割り切っていた
彼にGFがいることはわかっていたが 私たちの間ではどうでもよいことで
ことさら気になることでもなかった
確かに今まではそうだった
けれど いつの頃からか 彼の体に残る彼女たちの香りが 私を苛立たせるよ
うになっていた
「そんなのウソだ 信じないよ またそうやって自分を偽るんだね
いい加減認めたらいい 僕との相性をね 僕はビィーが最高だと思ってるよ」
「アナタのベストパートナーは私じゃないわ 私たちは……」
「ほら 理由なんて言えないじゃないか ビィーは僕がほかの子と
付き合うのは嫌なんだ」
「そうじゃないわ いろんな子と付き合って J をちゃんと
わかってくれる子を探しなさい」
「じゃぁもう決まってる 僕はビィーがいい ほら ここ
僕と同じところにホクロがある 運命だよ」
「そんなの運命でもなんでもないわ 偶然……でしょう……」
J の手は ますます私を恍惚へといざない すべての感覚が朦朧としてきたが
カラン と部屋に響くグラスの音に なんとか意識をとり戻した
運命だって知ってるわ
ホクロだけじゃない 私の元に通ってくる若いアナタと こんなにも分かり合
えるんだもの
でも それを認めるわけにはいかないの
アナタに近寄る女に嫉妬している私がいるなんて そんなこと知られたら
私の立場はどうなるの
優位に立ってこそ 私の存在価値があるというものなのに
それが揺らいでしまったら 私はプライドを保てなくなるのよ
彼の汗ばんだ肩ごしにテーブルが見える
飲み残しのスコッチの入ったグラスの氷が音を立てて溶け 琥珀色の液体が
薄暗い部屋の明かりに妖しく揺れていた