琥珀色の時間


それから間もなく 展覧会の絵は 私の予想通り大賞を獲得し 副賞の留学の

切符を手にした彼は  遠くヨーロッパへと旅立った


彼の活躍は仕事柄耳に入ってきた

2・3年おきに本国で行われる個展に 本人が帰国することはなかったが 

私は何をおいても会場に足を運んだ


彼の個展に必ず出され人気を博しているのが 女性を描いたシリーズだった

構図も色彩も その年によって大きく異なるのに 首筋に描かれるホクロは変

わらず存在した

それらの絵を目にするたびに J の力量の伸びを感じとり 彼と過ごした日々

を否応なく思い出した


そして思うのだ

彼を手放してよかった と……

この想いを確認するために 個展に足を運んできたと言ってもいいほどだった



今年もまた J から招待状が届いた

けれど 今回は初日に足を運べそうになかった

私と娘を何くれとなく支えてくれていた叔母が この春から体調を崩し介護の

手を必要としていた

特に大きな病があるわけでもなかったが 高齢でもあり一人にしておけず 

昨夜から続く微熱のため  私は叔母の家に泊まりこんでいた



「お花とこれをお願い 受付においてくればいいから」


「名前は書かなくていいの?」


「いいわ そのスコッチを渡せばわかるから」


「わかった」


「それと絵をじっくり見てらっしゃい アナタにとっても勉強になると思うわ 

絵に向き合うの そして作者の思いを感じて」



今年15歳になる娘は 誰が勧めたのでもなかったが 絵筆をとるようになって

いた

小さい頃から紙と鉛筆があれば おもちゃは必要ないほどで ずっと紙に向

かって絵を描き続けているような子だった


私の代わりに娘を個展に行かせるのは 少々気の進まないことだったが 

初日に足を運び続けてきた習慣を変えるのに抵抗があった

それに 私がずっと個展を見てきたことは 彼の耳にも入っているはずだ

今回 私が行かなければ 彼との約束を破ることになる

彼との約束だけは なんとしても守っていたかった





個展から帰ってきた娘は 感動した面持ちで会場の様子を聞かせてくれた

何枚もの絵があったが その中の一枚に特に惹かれ その場から動けなくなっ

たのだという



「絵が私に話しかけてくるの こんなこと初めてよ」


「その絵は どんなことを伝えてくれたの?」


「描かれた女の人の思いとか人生とか とにかくいろんなこと」


「そうなの アナタもそんな経験ができて良かったわ」


「それとね 私に話しかけてきた人がいたの ビィー って……呼ばれたの」



ビィーと呼ぶのは あの人しかいない

でも まさか……彼は個展には足を運ばないはず

けれど 心のどこかで彼であって欲しいと願いながら 逸る気持ちを抑えつつ

娘に質問を重ねた 



「その人 ビィーって呼んだのね どんな人だった? 教えて」



急に態度の変わった私に驚きながら 娘は会場で出会った男性のことを語り始

めた

背が高くて 髪を後ろに束ねてて 髭があったから歳は良くわからなかったけ

れど 耳の下にホクロがあったわと  私の確信を裏付ける証拠を教えてくれた



「君のお母さんは美術ライターかって聞かれたから そうですって言ったの 

そしたら とても懐かしそうな顔をして  私をじっと見て 

そして えっ って驚いた顔をしてた」


「彼は何に驚いたの?」


「わからない 私の首のあたりを見て 急に表情が変わったの でね……」



少し言いよどんでから 



「そのまま待っててって言われて 待ってたらスケッチブックを持ってきて 

私を描きはじめたの  君を描いたことはお母さんには内緒だよって

言われたんだけど」


「そう そんなことがあったの」



あの人が 絵の作者なのかと娘が聞くので おそらくそうだ と私は答えた





”ビィーへ”

懐かしい文字とともに小包が届いたのは それから間もなくだった


私は急いで包みを開けた

幾重にも梱包された紙を剥ぎ取るのはもどかしかった

出てきたのは二冊のクロッキー帳で 十数年前の私が描かれたものと もう一冊

には娘が描かれていた

それには ”君は嘘つきだね” と 意味のわからない書き出しでカードが添

えられていた




僕のために 僕を追い出したのはわかっていた

あれから君が書いた記事は 僕をずっと支えてくれた


僕を新しい世界に送り出すために あんなウソをついたんだね

彼女に聞いたよ あの子の父親にも同じ場所にホクロがあるってこと

首のホクロはやっぱり運命だった

                       J より




玄関ベルが鳴り 一緒に絵を覗き込んでいた娘が あの人だわ と大きな声を

あげた


彼がここに来ることくらい 最初からわかっていた

私のことを ”君” と呼ぶようになった彼は 私がこんなにも求めてやまな

い男に成長していた


琥珀色に染まっていた記憶が 鮮明な色彩に塗り替えられていく

感極まって顔を覆ってしまった私をおいて 娘は玄関へと駆け出した
 




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